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〈平和つなぐ〉原爆禍の記憶胸にプロへ 横浜高校・増田珠選手 

社会 | 神奈川新聞 | 2018年1月1日(月) 02:00

長崎に原爆が投下された時刻を示す時計に向い黙とうする横浜高校・増田選手=2017年8月9日、兵庫県伊丹市
長崎に原爆が投下された時刻を示す時計に向い黙とうする横浜高校・増田選手=2017年8月9日、兵庫県伊丹市

 昨年8月9日、兵庫県伊丹市の練習場。最高気温が30度を超えた真夏の太陽の下、スコアボードの大時計が11時2分を指すと、脱帽し、静かに目を閉じる一人の球児がいた。自身2度目となる甲子園出場を果たし、初戦に備える横浜高校3年の増田珠(しゅう)選手(18)だった。

 72年前のこの日。故郷の長崎は原爆禍に見舞われた。母校は、爆心地からわずか1キロほどの距離にある中学校。祖母は広島に投下された原爆の被爆者でもあった。

 「戦争中、当時の高校生は野球がしたくてもできなかった。特別な日に、自分の好きなことができる幸せをあらためて感じた」

 昨秋、福岡ソフトバンクホークスから3位指名を受け、今年は念願だったプロ野球選手となる。

 「本当に一握りしか挑戦できない舞台。被爆で苦しんでいる方や、野球ファンに、夢と感動を与えられる選手になりたい」

 早くもプロの顔をのぞかせた。

刻まれた原爆禍の記憶


昨夏の甲子園に出場した増田選手
昨夏の甲子園に出場した増田選手

 全国屈指の強打者、増田選手の脳裏に刻まれた原爆禍の記憶は、少年時代にさかのぼる。

 「くうたんはなんで体が悪いの」。地元・長崎の小学校に上がったころ、「くうたん」と慕う祖母の久美子さん(74)の体調を案じて、父親の照久さん(45)に尋ねたことがある。体に傷痕があったからだ。

 年齢を重ねてから患った病気の手術痕だったが、久美子さんは2歳のころ、広島で被爆していたと教えられた。戦争中は実家の長崎を離れ、家族の仕事の都合で広島で暮らしていたという。直接、傷を負ったり、後遺症を抱えたりしているわけではないが、被爆者としてその後の人生を歩んできた。

 ただ、久美子さん自身から当時の話を聞いたことはない。「思い出したくない、と言っていたので。そういう話は、あんまりしたくないみたい」

 その分、資料や語り部から被爆の実相を学んだ。あまりの高熱に、一瞬で身体が炭化した「黒焦げの少年」。爆心地付近で、熱線の直射を受けて人影の部分だけ黒く残った壁。熱線で焼けただれ、真っ赤になった背中。小中学生のころ、自宅から2・5キロほどの原爆資料館に足を運び、展示された写真を通して悲惨さを目に焼き付けた。被爆体験者の講話からは、惨状に思いを巡らせてきた。学校の図書館では、「はだしのゲン」を手に取り、全巻をむさぼり読んだ。

 「たぶん、おばあちゃんもこういう現場にいたんだなって」。故郷に刻まれた戦争の記憶を通し、久美子さんの思いを自分なりに受け止めてきた。

「8月9日は野球の日?」


 平和を思う気持ちは、神奈川の地で迎えた夏を経て、一層強くなる。

 プロを目指し、全国有数の強豪の門をたたいたスラッガーは、高校1年の8月9日、いつものようにグラウンドにいた。甲子園出場を逃し、目の前の練習に精いっぱいでいると、気づけば原爆が投下された午前11時2分が過ぎていた。

 長崎で過ごした中学時代までは、8月9日は夏休み期間中でも全校登校日だった。投下時間には街中にサイレンが響き、全校で静かに黙とうしてきた。

 「長崎にとってとても大事な日。でも、意識していないと、こんなにも普通に過ぎてしまうんだなって」

 学校の友人に聞いても「8月9日? 野球の日でしょ」と言われた。

 「神奈川の高校生は知っている人のほうが少ないのでは。8月6日の広島は知っているのに、長崎は知られていないのが残念。知っている人間が伝えていかないと」

 サイレンが鳴らない初めての夏が、被爆地出身という思いを強くさせた。

 甲子園に初出場を果たした高校2年の8月9日は、直後に試合を控え体を動かしている最中に、いったん練習をやめて静かに祈った。そして、高校生活で最後となった昨夏。増田選手の黙とうは、グラウンドでのプレーとともに多くのメディアから注目された。

野球ができる幸せ


故郷の長崎への思いやプロ野球での抱負を語る増田選手 =横浜市金沢区の横浜高校
故郷の長崎への思いやプロ野球での抱負を語る増田選手 =横浜市金沢区の横浜高校

 増田選手は今、野球ができる幸せを全身で感じている。

 「12球団一の施設と説明されたので、楽しみで」。昨年12月に、入団が決まった福岡ソフトバンクホークスの練習施設を視察し、こう声を弾ませる。今月9日に入寮を控え、トレーニングに励む日々だ。

 両親が名付けた「しゅう」という名前には、真珠のような宝物という意味が込められている。名前の意味の通り、長崎を離れてからも家族は、大舞台には必ず応援に来てくれた。

 「しゅう君、けがはせんようにね」。元気な体で野球ができることを願う久美子さんからはいつも、こう声を掛けられるという。

 「自分のプレーを見て、5年でも10年でも長生きしてほしい。元気なうちにおばあちゃんからも、戦争の話を聞いてみたいですね」

 プロに挑む名門校の元4番バッターは、一人の高校生の顔に戻って笑った。

継承に猶予なし=担当デスク・田中大樹



 メディアは、とかく節目に重きを置く。戦争については、沖縄戦の組織的戦闘が終結した「6・23」、原爆が投下された「8・6」「8・9」、終戦記念日の「8・15」、太平洋戦争が開戦した「12・8」は特に手厚く報道する。

 節目を報じる意義は大きい。犠牲者を悼み、過去を反省し、将来を見据える契機となる。しかし、体験者が刻々と鬼籍に入るいま、戦争の実相を後生に伝える継承には一刻の猶予もない。「節目報道」からの転換が不可欠だ。

 一方、戦争を知らない世代の勇ましい声は、ますます大きくなっている。とりわけ憲法論議が最大の焦点となろう今年は、戦争と平和について正面から向き合わねばならない。

 戦後の出発点は敗戦であり、平和への渇望だ。戦争は民主主義を壊し、人々の尊厳を踏みにじる最悪の人権侵害である。先の戦争に突き進んでいったこの国の姿を振り返り、市井の平穏を破壊した末路を思えば一目瞭然だ。過ちを繰り返してはならない。

 戦後73年。不穏な空気が漂う中、継承が待ったなしだからこそ、節目にとらわれない報道が重要となる。日々、体験者の声を伝えて戦争の現実を直視し、伝え継ぐ人々の姿を報じて共に歩む。そして、平和をつなぎたい。

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