やまゆり園 事件考
匿名公判の源流(3) 凄絶な現場 遺族の葛藤
社会 | 神奈川新聞 | 2019年12月27日(金) 12:00
夏空が白むころ。45人が殺傷されたやまゆり園に、入所者の家族が次々と駆け込んできた。2016年7月26日。事件から数時間後、建物の端々に血だまりができ、負傷程度に応じて治療や搬送の優先度を色分けするトリアージに救急隊員は追われていた。
重傷の「赤」、中程度の「黄」、軽傷の「緑」と判定された負傷者は病院に搬送され、無事だった入所者は居室や体育館に身を寄せた。それぞれの家族が方々に散った。
被害者家族のうち、心肺停止を意味する「黒」に色分けされた入所者の家族、つまり、のちの遺族のみが一室に残された。備え付けのテレビに、園舎の外観が映し出されていた。1人が申し立てた。「(死亡した家族の)名前をテレビに出さないようにしてほしい」。ほか2、3人が同調した。異論はなかった。県警は「約束はできないが、検討する」と応じた。