「日本初のプールバー」として知られた横浜・本牧地区の老舗カフェバーが、43年の歴史に幕を閉じた。3代目オーナーの河原奈里さん(39)が自己免疫が原因とされる1型糖尿病を突然発症し、苦渋の決断だった。「いつか戻ってきたい」。営業再開への希望を胸に、病を乗り越えるつもりだ。
22日未明。本牧通りのビル2階の窓ガラスに掲げられたカラフルなネオン管の灯(ひ)が消えた。「ALOHA Cafe(アロハカフェ)」。「いつかまた健康になったら再び営業ができたらと思い、商標は私が変わらず持ち続けます」。河原さんはこの日もいつも通り、常連客らを「お帰り」と笑顔で迎えた。
昨年2月。長男を妊娠した際の血液検査で偶然、判明した。1型は血糖値を下げるために必要なホルモン「インスリン」が分泌されなくなる病気。生活習慣病に起因する2型とは異なり、自己免疫が原因とされている。インスリンの注射などによる継続的な治療で従来通りの日常が送れ、河原さんも適切に血糖値を管理し、生活への支障はない。
「今の医学では治らない病気とされるが、10年から15年たてば治療法が見つかるはず。その時のために一度、店を閉じることにした」と河原さん。病気が分かった直後は泣いてばかりだったが、「夫が『俺は治ると信じる』って言ってくれた。病気と闘うのなら、前を向いて歩くほうがいい」。夫の一言で笑顔を取り戻し、「まずは検査をして、自分の症状をしっかり把握する」と閉店を決めた。
本牧地区は終戦直後から1982年まで、米軍の住宅地区が広がっていた。同店は76年にオープン。米軍接収地を囲っていたフェンスの向かいに位置し、“米国”に近いことが売りだった。かつては日本で珍しかった米国産ビールや名物の四角いピザが人気を集め、米国文化に憧れた若者たちでにぎわった。
本牧で生まれ育った河原さんは大きな窓ガラスに高い天井のモダンな造りに魅せられ、常連客、そしてアルバイト店員となった。時は移ろい、接収地の返還や大型商業施設の撤退を経て、街は往時の輝きを失った。店の客足は遠のき、経営が厳しくなる中、河原さんは2005年、オーナーへと転身した。
5年前、築60年以上と老朽化が進んだ旧店舗を閉じ、同地区内で新たな店舗を構えた。自身の結婚パーティーを開き、常連客に祝福されるなど夫婦の思い出の場所でもある。「前の店は『本牧の景色だった』とよく言われた。20年、30年続けられるように頑張ったけど、これからという時に閉店するのは残念な気持ち」
店舗は25日から、別の経営者の手でダーツバーとなる。シンボルとなっていたビリヤード台は取り払われた。河原さんは「『アロハ』という言葉には感謝や愛が込められている。店が地域の人たちに愛されてきたことに感謝したい」と笑顔で話す。
その思いに常連客も応える。「ミスター」の愛称で呼ばれる男性(59)は「河原さんは山あり、谷ありの人生を乗り越えてきた。これからの人生、きっとうまくいく」。店舗同様、河原さんは愛されながら、病の克服と店の再開を目指す。