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やまゆり園 事件考
公判に向けて(12) きれい事貫く重要性

社会 | 神奈川新聞 | 2019年12月24日(火) 19:00

映画監督
森 達也さん

 オウム真理教信者や、記者会見での鋭い質問を妨害される新聞記者など、「異物」として排除される人々を見つめてきた映画監督の森達也さん(63)。やまゆり園事件の公判を控え、あらためて「命は尊い」という「きれい事」を貫く重要性を訴える。

公判に向けて(1)「関係ない」風化に拍車
公判に向けて(2)状況がつくる障害者観
公判に向けて(3)嫌な人も排除しない
公判に向けて(4)「当たり前」の風景に
公判に向けて(5)自分が障害者なら…
公判に向けて(6)つながり手放さない
公判に向けて(7)社会全体で支え合う
公判に向けて(8)虐殺 ヘイトと地続き
公判に向けて(9)排除されない社会に
公判に向けて(10)犯罪許さぬ文化醸成
公判に向けて(11)背景を探る努力 常に


映画監督 森 達也さん
映画監督 森 達也さん

 植松聖被告(29)が語る動機は当初はまったく理解不能だった。だがその後、(被告に)「ずっと目をそらし続けてきた意識の底の小さな扉を開けられた」ことに気付いた。その鍵になったのは、彼が言う「心失者」、つまり言葉で意思疎通がとれない人に「生きる価値はない」との主張だ。

 中絶や脳死問題の議論など、自意識や他意識を外から認知できない状態をどうとらえるべきか。重度の脳性麻痺(まひ)で他者とまったくコミュニケーションできない人、あるいは意識が無い植物状態の命のありように対して、あえて僕自身も社会も深く考えないようにしてきたことを、彼は突いてきた。

 社会は、人間であるからには脳死直前でも植物状態であっても、立派な尊厳ある命として取り扱ってきた。「もしかしたらもう意識がないのでは」「この人が生きている意味は何だろう」とふと思う瞬間はあっただろう。重度の脳性麻痺の子と暮らしながら「もしこの子がいなければ」とふと思ってしまった親を、僕たちは絶対に批判できない。

 つまり「植松被告」はすべての人の心の中にすむ。だからこそ僕たちは、この存在からあえて目をそらし続けてきた。

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