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「一瞬で家族奪われた」 被爆者、中学生に核廃絶訴え

社会 | 神奈川新聞 | 2019年11月30日(土) 15:00

入市被爆した際の経験を生徒らに語る末岡さん=横浜市戸塚区
入市被爆した際の経験を生徒らに語る末岡さん=横浜市戸塚区

 被爆体験や核兵器の恐ろしさを子どもたちに伝えようと、横浜市戸塚区の市立秋葉中学校(狩野久幸校長)で28日、広島市で入市被爆した末岡昇さん(82)が講演した。全校生徒約540人を前に自らの経験を語り、「核兵器だけは絶対にこの世からなくさねばならない」と核廃絶を訴えた。

 末岡さんは、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の被爆体験伝承者として、広島市内などで継承活動を続けている。この日は同校の道徳の授業の一環で講演した。

 末岡さんが被爆したのは小学1年だった7歳の時。当時、爆心地から800メートル離れた祖父母宅で、両親や3人の妹弟、祖父母、叔母らとともに大所帯で暮らしていたという。

 たまたま母やきょうだいとともに広島市から約20キロ離れた宮島に滞在していた8月6日朝、海を眺めていると、広島市の方向に見たこともない強い光が見え、ドーンという鈍い音を聞いた。「あの閃光(せんこう)の瞬間、何万人もの人が亡くなったと思うと、今でも身の毛がよだつ思いがする」と振り返った。

 広島市内にいた父親は爆心地から5キロ離れた工場に出勤していたため一命を取りとめたが、祖父母や叔母らは犠牲となった。末岡さんは18日、父母とともに焼け跡となった祖父宅を訪れ、がれきの下で焼けずに残っていた祖父母の遺体を火葬した。「大柄だった祖父と、目の前の子どものように小さく見えた遺体が同じ人物と思えなかった。魚の腐ったようなにおいが強く印象に残った」という。

 後年、父親は肺がんで亡くなり、自らも3回のがんを経験した。末岡さんは「戦争中だが国民はいたわり合い、幸せな生活を送っていたが、そんな家族を一瞬で奪われた」と力を込め、「社会全体に核兵器の恐ろしさを語り継ぐ輪を広げることが核兵器をなくす道。核兵器は相手国の国民を短時間で大量に抹殺する恐ろしい兵器だ」と生徒らに語りかけた。

 講演後、3年の小林羽衣さん(15)は「同じ日本で起きたと感じられなかった。恐ろしすぎる」と感想を話し、同学年の桑井朝菜さん(15)は「戦争を経験している人は今後どれくらい長く生きていられるか。私たちが大人になったとき、後生に悲惨な体験を伝えていかなければ」と語っていた。

 
 

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