1977年9月に横浜市緑区(現・青葉区)で起きた米軍機墜落から40年。語り継ぐ活動に尽力する斎藤真弘さん(76)=緑区=らが19日、現場周辺など両区にあるゆかりの施設や場所を訪ね、遺族の話に耳を傾けた。
東急田園都市線江田駅から徒歩約10分。雨が降る中、斎藤さんは住宅地にある公園で、「この桜も含め、現在ある木々は墜落後に植えられた」と説明した後、50メートルほど歩き十字路で立ち止まった。
「ここにあった電柱は、墜落する直前の米軍機によってバサッと切断された。上がった黒煙は遠方からでも見えた」と話す。
土志田和枝さん=享年(31)=の3歳と1歳の息子が直後に亡くなり、和枝さんも4年後に息を引き取った。参加した女性(73)=戸塚区=は「当時の悲惨な状況を想像しながら、説明を聞いた。語り継がないといけない出来事」と話す。
ツアーは横浜米軍機墜落事故平和資料センターが企画し、県内在住者を中心に7人が参加。和枝さんの兄の隆さん(68)も妹の闘病生活の状況などを語った。
今月11日には沖縄県東村で米軍の大型輸送ヘリが不時着、炎上したが、18日には同型ヘリの飛行が再開。斎藤さんは「米軍による事故原因や安全性の十分な説明がないのは、昔から変わっていない。市民が思いを共有して声を上げる必要がある」と話していた。