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油壺・三崎臨海実験所 11月から旧本館解体

社会 | 神奈川新聞 | 2019年10月22日(火) 13:23

 油壺湾(三浦市)に臨む「東京大学大学院理学系研究科付属臨海実験所」(同市三崎町小網代、通称・三崎臨海実験所)の旧本館と水族室標本展示室が、11月から解体される。国内初、世界で2カ所目の海洋生物学の恒久的な臨海実験施設として誕生し、研究史に大きな足跡を残してきた。だが老朽化には勝てず、新たに建てられる「研究教育棟」にその機能を引き継ぎ、80年超の役目を終える。

建築構造学の父
内田祥三が設計


解体される、三崎臨海実験所の旧本館=三浦市三崎町小網代
解体される、三崎臨海実験所の旧本館=三浦市三崎町小網代

 三崎臨海実験所は1886年、同市三崎地区に設立された。97年に、相模湾に面する油壺湾沿岸の現在地に移転。多様な海洋生物が生息する同湾をフィールドに、国内外の研究者や学生が利用した。かつて実験所で研究した理学博士の故・磯野直秀さんの著作によると、種名に「ミサキギボシムシ」と三崎の地名を付けられた新種や、構内の岩場の海藻に付着した「ムシクラゲ」といった珍種が数多く発見された。真珠養殖の実用化への道を開いたともされる。

 1923年、関東大震災が襲い、実験所は壊滅状態に。これを機に、いずれも鉄筋コンクリート2階建てで、水族館として一般開放された水族室標本展示室を32年に、一部半円状で褐色の外観が特徴的な本館が36年に、それぞれ建てられた。引っかいたような模様のタイル(スクラッチタイル)など、昭和初期を思わせる技巧が随所にちりばめられた2棟は、「日本の建築構造学の父」と評される内田祥三によって設計された。

 新たな門出を迎えた実験所にもその後、戦争が暗い影を落とす。太平洋戦争末期、特殊潜航艇の基地として旧海軍に接収された。敗戦直後には進駐軍による破壊の危機に直面し、生物学者が英文で保護を訴えるメッセージを貼り、建物を守ったとの逸話も残っている。

展示室ともに老朽化
市民から惜しむ声

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