
「悔しい…。許せないさー…」
8月、県立青少年センター(横浜市西区)で開かれた中学校演劇の全国大会。沖縄県代表・伊波中学校(同県うるま市)演劇同好会の迫真の演技に、観客のすすり泣きがやまなかった。1959年6月、宮森小学校(同)に米軍機が墜落し、児童ら18人が犠牲となった実話を伝える物語。横浜市立中学非常勤職員の大沢清さん(65)=座間市=は客席で涙を拭った。息子を亡くした母親の慟哭(どうこく)を表現する女子生徒の演技に心を揺さぶられていた。
中学校の演劇部顧問としての歩みは40年を超え、演劇指導や大会審査員として全国を飛び回る。6月、審査員として訪れた沖縄県大会で伊波中の舞台に出合った。
パイロットの脱出、罪なき市民の落命、犠牲者の無念と遺族の悲しみ-。77年9月に発生し母子3人が犠牲となった横浜市緑区(現青葉区)の米軍機墜落と共通することばかりだった。
絶対に忘れてはいけない、自分たちにできることをやり続ける-。生徒たちの思いは、横浜の墜落を演劇などを通し語り継いできた自身の決意と重なった。
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高校時代に出会った恩師の背中を追い掛けてきた。「どう生きていきたいか。時代を見つめ、考えられる人間に」。広い世界に目を向け、自らに問い掛け、考える機会を与えてくれた。
本土復帰前の沖縄の高校生とも交流。出身地の山梨に招いたが、本土に渡るために必要な「パスポート」が発給されなかった。米軍嘉手納基地(同県嘉手納町)にほど近く、代わりに寄せられたカセットテープのメッセージは米軍機のごう音で何度もかき消されていた。社会の矛盾に目を見開くきっかけとなった。
教師となり、40年前の横浜の米軍機墜落時は、現場の住宅地から約4キロ離れた中山中学校(同市緑区)で授業中だった。夕刻の帰宅時、駅前で手にした新聞号外で惨状を知り、がくぜんとした。「罪なき人が突然傷つけられた理不尽な事件」。いつ被害に巻き込まれてもおかしくはない。ひとごとに思えなかった。
「自分たちの暮らす社会で何が起きているのか。地元の子どもたちにこそしっかりと肌で感じ、学んでほしい」。恩師を思い起こし、生徒たちが考えるきっかけづくりを始めた。
娘の土志田和枝さん(享年31)と、幼い孫2人が犠牲になった勇さん(享年82)に、校内放送で全校生徒に語ってもらった。「墜落を許せない」。きっぱりと言い切る姿に、穏やかな笑顔の裏に隠された無念をみた。
花が好きだった和枝さんをしのび、勇さんが設けたハーブガーデンを幾度となく訪れた。教え子ら中学生や、地元の若者らとつくった劇団が「もう二度と繰り返さない」「忘れてはいけない」と思いを込め、追悼の踊りや演劇を披露した。振り返れば、継承に奔走した40年だった。
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中学校演劇全国大会の前日、伊波中の同好会顧問、前田美幸さん(32)に請われ、和枝さんらを追悼する「愛の母子像」(横浜市中区)に生徒たちを案内した。像にそっと水をかけ、ほこりをやさしく拭き取る生徒たち。「和枝たちも高い空の上で喜んでいることでしょう」。勇さんが生前、教え子らに語った言葉がふと浮かんだ。
11日夕、沖縄本島北部の牧草地で米軍ヘリが炎上、大破した。「同じことが繰り返されている。はらわたが煮えくり返る思いだ」。前田さんとの電話で憤りを伝えた。
米軍機が空を飛び交う限り、“事件”の危険とは常に隣り合わせだ。
「過去の問題、神奈川と沖縄だけの問題ではない。この時代に生きるすべての人がわが事として考えなければならない。墜落が繰り返される現実を問い続けなければ、平和な空は実現できない」