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ノーベル賞吉野さん 川崎時代の同僚「こだわり、熱心」

社会 | 神奈川新聞 | 2019年10月11日(金) 05:00

リチウムイオン電池の模型を手に、吉野さんと過ごした川崎技術研究所時代の思い出を話す津端さん=旭化成東京本社
リチウムイオン電池の模型を手に、吉野さんと過ごした川崎技術研究所時代の思い出を話す津端さん=旭化成東京本社

 ノーベル化学賞に輝いた旭化成名誉フェローの吉野彰さん(71)=藤沢市=は、同社の川崎技術研究所(川崎市川崎区)に勤務していた35年ほど前にリチウムイオン電池の基本的な構成を確立した。同僚は「すごく熱心でこだわりが強い」と評し、強い信念で性能試験を繰り返して「夢の電池」の実現にたどり着いた。

 吉野さんは1985年、正極にコバルト酸リチウム、負極に特殊な炭素材料を組み合わせることで何度も充電して使える現在のリチウムイオン電池の基本概念にたどり着いた。

 当時、吉野さんと同じ研究室にいた同社燃料電池材料事業推進部部長の津端敏男さん(55)は、開発過程で最も苦しんでいたのは「火災にならない安全な負極材料の選定だった」と振り返る。

 従来の金属リチウム電池は圧壊すると発火することが知られていた。充放電を繰り返すと炎上する危険もあり、2次電池としては致命的な問題だった。そこで安全とされる特殊な炭素材料を負極に使い、実際に壊す性能試験を行うことにしたが、石油コンビナート地帯にある川崎の研究所では万一でも火を出すことができない。

 「試験ができなければ開発が止まってしまう」。ようやく九州にある同社の関連事業所が見つかり、安全性の試験を実施。リチウムイオン電池の試作品は変形しただけで燃えなかった。

 会社がゴーサインを出し、本格開発が始まった。吉野さんは9日の記者会見で当時を振り返り、「本当の意味でリチウムイオン電池が誕生したのはあの瞬間かな」と語った。

 82年から92年までの川崎の研究所時代、吉野さんは津端さんら若手研究者と白熱した議論を交わした。次の性能試験の方針を決めると、午後10時ごろから皆で飲みに行った。吉野さんが好むのは日本酒とウイスキー。津端さんは、吉野さんが落ち着いたらまた一緒に乾杯し、いつものニックネームで呼ぶつもりだ。

 「やったね、よっちゃん」

 
 

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