
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を見下ろす「嘉数高台」。住宅街の小高い丘は沖縄戦当時、日米多くの兵士が命を落とした激戦地だった。
「じーじのお父さんもここにいたんでしょ? どうして? せんそうって?」。週末の午後、階段を下りながら男の子が父親に尋ねる。「殺されるのに、なんでここに来たの?」。幼い姉も質問を重ねる。2人の曽祖父が戦死したのだろう。「もっと大きくなったらまた話そう。分かるようになってるよ」。父親は優しく応じ、ベンチで待つ妻のもとに歩を進めた。
沖縄では日々の暮らしに「戦争」が溶け込む。さまざまな人がさまざまな形で「平和」を伝える。
舞台もその一つ。1959年6月30日、児童ら18人が犠牲となった宮森小学校(同県うるま市)の米軍機墜落では