
一人息子へのあふれる愛情、その裏返しの深い孤独-。1959年6月30日、宮森小学校(沖縄県うるま市)に米軍機が墜落し、児童12人を含む18人が犠牲となった。8月半ばの昼下がり、子どもたちはにじむ汗を拭いながら、遺族の言葉に耳を傾けた。
地元の子ども劇団「石川ひまわりキッズシアター」は2012年に結成され、宮森小の米軍機墜落を中心に公演してきた。語り継ぐNPO法人「石川・宮森630会」が事務局を務めてきたが、2年後の発生60年に向けた準備で事務局運営が厳しくなり、今年1月の公演を最後に活動を終えると決まった。しかし、メンバーの一言で一転する。「大人の都合で勝手に決めないで」。納得できない子どもたちの熱意が大人たちを動かし、4月に再結成された。
この日、子どもたちは同県読谷村の新垣ハルさん(88)を自宅に訪ねた。墜落時のやけどの後遺症で息子の晃さん=享年(23)=を亡くしていた。
「いつも歌いながら学校に通ってたよ」「晃の生きがいは陸上競技。私の生きがいは晃の活躍だった」「生きていたらどんなお嫁さんや子どもがいたかな、と今でも考える」。2時間近く、新垣さんは語り続けた。
「こんなにつらい思いをしているとは思ってもいなかった。練習のときから感情を入れ、役になりきって演じたい」。中学1年の石川心月(みづき)さん(13)が力を込める。「遺族の思いを伝えたい」。次回公演に向け、メンバー20人が練習を重ねる。
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遺族との出会いをきっかけに、すでに活躍の場を広げた子どもたちもいる。伊波中学校(同市)の演劇同好会だ。
結成は今年5月。「生まれ育ったまちを伝える劇を」と、58年前の墜落を演じると決めた。翌6月の県大会で金賞を受賞し、結成わずか3カ月後の8月には横浜で開かれた全国大会に出場した。
「あなたたちを見ると(晃を)思い出してしまう」。県大会を控えた5月、新垣さん宅を訪ねた。流れる涙に癒えぬ痛みを知り、「悲劇を二度と繰り返さない。遺族の思いを背負って演じる」と心に刻んだ。
9月中旬、地元ホールで“凱旋(がいせん)”公演を開いた。寄付などで横浜行きを応援してくれた地域住民への感謝を込めた。
「私は無事だったのに、何であの子たちは…。何で代わってあげられなかったの」。2年の荒巻麻衣さん(14)は教え子を目の前で失った担任教師を演じた。「『ジェット機が落ちて人が死にました。それで終わり』ではない。沖縄だけでなく神奈川にも悲しんでいる人がいる。もう誰にもこんな思いはさせてはいけない」。40年前、横浜の米軍機墜落で犠牲となった母子3人の思いも込めた。
終演後、ホールは地元住民らの拍手に包まれた。客席で涙を拭った前田千代子さん(70)はあの日、火を噴きながら墜落する米軍機を目撃した。「忘れることなんて絶対にできません。当時を知らない若い子たちが一生懸命伝えている。これからも応援します」。平和な空への願いを託す。
横浜での公演の4日後、子どもたちは新垣さんを再び訪ね、無事に終えたことを報告した。「晃も一緒に行って見守っていたんだね。会場で見ていたはずよ」。話は尽きない。
一人一人が線香をともし、晃さんの遺影に手を合わせる。いつまでも赤々と燃える線香は、花が咲いているようだった。
「晃も喜んでいるさ。晃の思いを伝えてくれてありがとうね」