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遺族・新垣ハルさん(下)
米軍機墜落“事件”横浜と沖縄【5】再会願い遺影と会話

社会 | 神奈川新聞 | 2017年10月1日(日) 11:00

米軍機墜落で亡くなった一人息子の晃さんの思い出を語る新垣さん=沖縄県読谷村
米軍機墜落で亡くなった一人息子の晃さんの思い出を語る新垣さん=沖縄県読谷村

 沖縄県読谷村の新垣ハルさん(88)が一人息子の晃さん=享年(23)=を思わぬ日はない。毎朝仏壇に手を合わせ、語り掛ける。

 1959年6月、同県うるま市の宮森小学校に米軍機が墜落し、当時2年生だった晃さんは全身にやけどを負った。陸上競技で活躍するまでに回復したが、17年後に後遺症で亡くなった。

 振り返れば、晃さんは死を予感しているようだった。「母ちゃんを一人残して心配だ。きょうだいがいれば良いのに」。20歳を超え、体の不調を訴えるようになって以降、口癖となっていた。

 死後、新垣さんは息子の言葉ともう一度向き合った。晃さんの勉強机の本棚から1枚の紙片を見つけた。書き出しは「母上様」。新垣さんに宛てた遺書だった。

 記憶に残るのは「きょうだいがいなくて」「お母さんが心配」と、母を案ずる言葉が並んでいたことだ。あふれる涙で読み進められない。「最後まで読むと(悲しみを)忘れられない」。火を付け、香炉に入れて灰にした。

 「晃の言葉を残しておくべきだった」と、今でこそ悔やむ。当時はしかし、晃さんのいない現実に押しつぶされないようにと必死だった。心の中で謝りながら、とっさに取った行動だった。

■ ■ ■
 卒寿を控えてもなお、新垣さんの交友は旺盛だ。老人会で友人らと集う。楽しいひとときだが、時に苦しくもある。

 家族の話題になると、そっと席を立ち、トイレに向かう。むせび泣き、涙を流す。顔を洗って笑顔で戻り、何事もなかったように談笑に加わる。

 息子を失って40年余。「『ずっと前のことでくよくよして』と思われてしまうかもしれない。みんなの前では泣けないさ。でもね、どうしても考えてしまう。晃が生きていれば、どんなお嫁さんと一緒になっていただろう、どんな子どもがいただろうって」

 寂しさが募り、考えるほどに孤独は深まる。今も眠れぬ夜がある。

 「みんなはあんなに幸せそうなのに、私は(子や孫の)話をできない。みんながうらやましい。とてもうらやましい。なんで私だけ1人なの、神様はいないんだねっと思うこともある」

 米軍機の騒音を聞くと、病院での晃さんの姿を思い出す。20歳前後の若者を見ては、大学生だった晃さんと重ね合わせる。新垣さんの時間は晃さんが亡くなったあの日で止まったままだ。

 母ちゃんが心配だ-。息子の遺言を思い起こす。「ごめんね、晃。安心できないね」。“再会”の日を思いながら寂しさを振り払い、遺影を前に会話を重ねる。

 「晃、母ちゃんがそっちに行く日は来るからさ。それまで見守っていてね。晃、あんたは神様になったんだよ」

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