近未来的なビルや超高層マンションが立ち並ぶ東京・お台場。ビーチや船着き場があり、家族連れらでにぎわう海辺の公園に、この地が凄惨(せいさん)な歴史の現場だったことを示す石碑がひっそりと立つ。
〈東京は、関東大震災及び第二次世界大戦末期の空襲により甚大なる犠牲を被(こうむ)った〉
東京の全体的な状況について刻んだ石碑は、お台場が「未来都市」として発展する前の1993年まで、地元の人々によって慰霊祭が営まれてきたことを今に伝えている。
その理由がこう記されている。
〈二度の被災により隅田川河口近くに位置したここ旧防波堤にも、漂着した犠牲者が数多くみられたという〉
水運の要として江戸の経済、生活を支えてきた歴史を持つ隅田川。今では、お台場と浅草を結ぶ水上バスが行き交い、遊歩道やベンチのある川べりは憩いの空間となっているが、一帯は96年前、阿鼻(あび)叫喚を極め、河口には次々と遺体が流れ着いた。
1923年9月1日午前11時58分に発生した関東大震災。小田原付近を震源とするマグニチュード(M)7・9の巨大地震で東京、横浜を中心に10万5千人余りが犠牲になった。
隅田川周辺の家々を焼き尽くした猛火から逃げ惑う人々は行き場を失い、川へ飛び込んだ。当時の東京市では、1万を超える遺体が水上で収容されたとされている。
隘路(あいろ)となったのは、次々と焼け落ちた橋だ。