日常に根付き、一人一人が当然のように受容している能力主義。津久井やまゆり園19人殺害事件は、福祉現場に能力至上の原理を持ち込んだ。事件を否定して生きていくわたしたちは、逃れられない能力主義とどうつき合っていけばいいのだろう。当事者研究を専門とする小児科医の熊谷晋一郎さん(42)は「アスリートの世界にヒントがある」と語る。 (聞き手・川島 秀宜)
能力主義の陰で〈上〉パラリンピックが格差助長?異論も
能力主義の陰で〈中〉障害は「言い訳」か 克服求める熱狂、陰で傷つく人たち
能力主義の陰で〈下〉優劣の葛藤、周囲からのレッテル…「生きづらさ」の先

―熊谷さんは昨年7月、高度化したパラリンピックは障害者の能力格差を助長すると指摘し、その3カ月後にパラアスリートのポスター騒動(※1)がありました。
「マジョリティー側は、ポスターはいいことを言っていると思ったでしょう。マイノリティーの運動で昔からよく指摘されるのが、『名誉○○』という概念です。『名誉健常者』もその一つ。例外的に努力によって健常者並みかそれ以上のパフォーマンスを発揮した障害者を、健常者コミュニティーはそう呼んで褒めそやす。『名誉』の称号を与える、という意味です。半面、できる人がいるのなら、特別なサポートは必要ないというメッセージも送ってしまう。つまり、自助努力で能力を発揮しろ、と。あのポスターからは、そんな危うさを感じました」
―ポスターをツイッターで最初に批判したのは、統合失調症の男性でした。
「見えやすい身体障害より、見えにくい精神障害のほうが怠けていると勘違いされやすい。見えやすい障害者は、あのポスターのスティグマ(偏見による烙印)を絶妙に回避できたが、見えにくい障害者はものすごく有害な影響を受けたはずです」
―ポスター騒動のように、傷つけられている人がいることに気づきにくいときがあります。
「いまの社会のデザインとミスマッチを起こしている度合いが強い人を『障害者』と呼びます。障害の『社会モデル』(※2)です。社会が変わると、ミスマッチを起こす人の範囲まで変わる。多くの人が潜在的に生きづらかったり、将来に不安を抱いていたりします。全員がすでに障害者になっているといっても言い過ぎではない。それは社会が包摂力を失っているからです」
「やっかいなのは、身体は健常で、自分がミスマッチを起こしていることに気づかない場合です。発達障害と診断される人もいますが、何の名付けも当てはめられない人はたくさんいます。同じ障害者だから連帯して社会を変えようという方向にいけばいいが、健常者だと自認して、より弱い立場の人たちに牙をむく場合もある」
―やまゆり園事件の植松聖被告(29)は、自分の容姿にコンプレックスを抱えていました。一方で能力主義の極致である「超人」を称揚(※3)しています。
「依存症の当事者研究の知見に立ってみましょう。依存症者は、他者に頼らなくてもやっていけるほどの強くて美しい自分、つまり超人を目指さざるを得なくなる。それは、心を開いて頼れる隣人がいない代償です。その代償によって超人への志向性が高まり、なおかつ、超人になれない自分を受け入れられないというジレンマに陥る。わたしは、植松被告は依存症的であるとみています」
「依存症からの回復の分かれ道は、愚痴をこぼせる仲間がいるかどうか。依存症にならない人たちは、解決もしない愚痴を延々こぼし続けられる隣人がいる。依存症者は崇高な言葉でそれを埋めようとします」
―事件後を生きるわたしたちは、能力主義とどうつき合っていけばいいでしょうか。
「アスリートの世界にヒントがあります。彼らは能力主義の舞台から降りるわけにはいかず、そのなかで生きなければならないという難しい距離の取り方をしている。スポーツは社会の縮図。アスリートだけでなく、すべての人は大なり小なり、似たような世界のなかで暮らしているはずです」
「オリンピックに出場した元女子バスケットボール選手は、アスリートの立場は兵士に似ていると表現していました。自分の人生、健康、命を度外視して国のために尽くす。もともと、オリンピックはその価値観を否定する理念があったはずですが、いつの間にか戦争の構造と似てしまった」
―アスリートの当事者研究の成果を教えてください。
「アスリートは、スポーツがその人の依存先の全てになってしまいやすい。スポーツ心理学では、『ユニディメンショナル・パーソン』と呼ぶそう。単一の次元になった人という意味で、現役引退後にクライシスを起こしやすいのです。ユニディメンションな状態に追い込まれ、弱音を吐けない立場に置かれたとき、どうやってそこから回復し、自分の人生を紡ぎ直すか。アスリートは実践しています」
「平昌冬季五輪(2018年)のカーリング女子で銅メダルを獲得したロコ・ソラーレから学ぶべきことは多い。カーリングは『氷上のチェス』と呼ばれます。知性と身体能力が求められる競技に、和気あいあいとした雰囲気を持ち込んできました。日本ではアイドル視されていますが、海外では違う。洗練された組織マネジメントが注目されています」
「一人一人のウェルビーイング(心身の健康)を損なわず、チームとしてのパフォーマンスを落とさない。吉田知那美選手によると、そこに到達するのに相当な模索や衝突があったそう。弱さをシェアして、全体で底上げをしていくことを、自分たちで練り上げてきたのです。アスリートのノウハウや知恵が、一般社会に応用できるはずです」
くまがや・しんいちろう 1977年生まれ。東京大先端科学技術研究センター准教授。新生児仮死の後遺症で脳性まひになり、車いすを利用する。病気や障害がある当事者が、原因の所在を同じような困難を抱える仲間とともに探る「当事者研究」を専門とする。
〈編注〉
※1 東京都が制作し、昨年10月に都内に掲示された2020年東京パラリンピックのポスター。パラアスリートのせりふとして、〈障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ。〉とのキャッチコピーが添えられていた。SNS上で都に批判が集中し、1週間余りで撤去された。
※2 障害は個人でなく、社会にあるという観念。例えば、エレベーターがない施設の2階に移動したい車いす利用者の困難について、身体機能でなく、施設側の設備に原因を求めるという考え方。国連の障害者権利条約や、16年に施行された障害者差別解消法も、この考え方に基づく。
※3 植松被告は記者に寄せた手記に「悔しいですが、人間は『優れた遺伝子』に勝る価値はありません。…私は『超人』に強い憧れをもっております。私の考える超人とは『才能』+『努力』を重ねた人間ですので、凡人以下の私では歯が立ちません」と書いた。