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日本丸、誇り新たに 元乗組員も喜び 重要文化財に指定

社会 | 神奈川新聞 | 2017年9月22日(金) 11:09

重要文化財に決まった帆船日本丸
重要文化財に決まった帆船日本丸

 太平洋を中心に航海実習を行う練習船として1930年に竣工(しゅんこう)した「帆船日本丸」が今月15日付けで、国の重要文化財に正式に指定された。戦後、復員輸送、遺骨収集、国際親善などさまざまな役割を果たし、84年に引退。翌年から横浜・みなとみらい21(MM21)地区で現役当時のまま保存され、展示活動は市民ボランティアらが担ってきた。中でも、現役時代を知る元乗組員たちの喜びはひとしおだ。「日本丸とともに、互いにずっと元気でいたい」-。

 約100人ものボランティアが力を合わせて29枚全ての帆を張る「総帆(そうはん)展帆(てんぱん)」。4本あるマストのうち前からの3本目の「ミズンマスト」を担当する三原進さん(86)=横浜市戸塚区=は太平洋戦争の開戦直後から日本丸に乗船し、戦後は海外に残された日本人を本土に帰還させる復員輸送に従事した。

 日本丸は中国・上海を皮切りにシンガポール、台湾などを巡り2万人以上の引き揚げ者を輸送。三原さんは「ボットム」と呼ばれる雑用係として働いた。印象深いのは、大勢の日本人を乗せた上海での光景。「命からがらという人だらけだった。日本から船が来たのでどれだけ喜んだだろう」。通路は人であふれ、甲板に仮設トイレを作った。

 サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が国際社会で主権を回復した52年。長らく外されていた帆装と純白の船体を取り戻し、翌年6月には戦後最初の帆走での遠洋航海を行った。

 激戦地だった太平洋の南方8島で遺骨収集を行う慰霊の旅だった。乗組員だった原敏美さん(91)=同市港北区=はジャングルに分け入り、日本兵の遺骨を探した。サイパン島では日本将兵の墓が清められ、美しい花が供えてあったことを鮮やかに覚えている。

 原さんは17歳で海軍入り。魚雷攻撃で多くの船が沈むなか、かろうじて生還した。「その南洋に今度は日本の帆船で行くというのは、特別なものだった」と感慨深げに思いをはせる。

 遠洋航海ではハワイにも向かった。「戦後はまさに平和の船。若者たちが海外に行くのが難しかった時代に国際親善、そして国際交流の役割が与えられていた。こんな船はないだろうね」と原さんは振り返る。

 原さんは86年に当時の航海訓練所を定年退職後、30年余り展帆ボランティアを続ける。350回に及ぶ総帆展帆に270回ほど参加。同僚だった三原さんはボランティア歴25年だ。

 重文指定で、また一つ大きな誇りが加わった。2人は「ここに来れば寝食を共にした仲間と会える。この船は家みたいなもの。船が生きた状態でこれからも保存してほしい」と願いを込める。


帆船日本丸の展帆ボランティアとして活躍する元乗組員の三原さん(左)と原さん=横浜市西区
帆船日本丸の展帆ボランティアとして活躍する元乗組員の三原さん(左)と原さん=横浜市西区

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