
朝食をつくると、写真に収めるのが日課だ。
目覚め、着替え、食事。いつもの生活の一瞬に、コンテンポラリーダンスとして表現するためのパーツを探していく。そこに「一日を前向きに始めたい」との思いを乗せる。
「朝ごはんダンス」と名付けた。
それは、昔の自分が過ごした、あるいは過ごせなかった日々と、表裏でもある。
33歳の小柄なダンサー、asamicro(アサミクロ)は、小学1年生の6月から中学3年生まで、定められた学校の教室には通っていない。
「もともと朝食は大嫌いだった。食べたら学校に行かなきゃいけない、でも行けない。つらいジャッジの時間だったから」
8月の終わりは、学校に居場所を見つけられない子どもたちの悩みが募る時期。
だから今、伝えたいメッセージがある。
こんなあたしでも、自分の生き方を選んだ。みんなも、もっと自分を好きになっていいんだよ。
家がどんどん暗くなる

ダンスインストラクターとして子どもたちに踊りを教えてきた松井麻実は、最近ではイベントやギャラリーでのパフォーマンスやミュージックビデオの振り付けも手掛け、表現者としての活動の幅を広げている。
静かな東京湾の海を望む横須賀・浦賀の漁師町で、両親と妹の4人家族に育った。
初めて通った幼稚園には自由な空気があり、楽しい日々を過ごした。期待に胸を膨らませて、小学校に進んだ。

だが、教室に入って感じたのは、「誰も笑わない空間」という印象だった。
「抱いていた理想と現実が、どんどん違っていった」。2カ月で、学校には行かなくなった。
いじめや人間関係で悩んでいたわけではない。夕方になれば、共に遊ぶ近所の友人もいた。
教室で「みんなと同じ」が求められる違和感を、最後までぬぐえなかったのかもしれない。
不登校になって、両親が衝突する様子を目にした。あたし、すごいことしたんだ、と気付く。罪悪感にとらわれた。
「自分が学校に行かなくなったことで、どんどん家の中が暗くなっていく」
小中学生を対象とした文部科学省の調査では、不登校の要因には学校の人間関係と並んで「家庭状況」も目立つ。
自分を受け入れてもらえた
小学4年生までは、ほぼ引きこもりの状態だった。
自室で、通信教育の教材と向き合った。夏休みに入るころには、自由研究の課題を近所の友人から受け渡してもらった。
だが、勉強の遅れている「ダメな自分」を突き付けられたような気にもなった。不安神経症の診断が出た。今でも、当時の自分の写真を見ると「とても表情が暗い」と思う。
横須賀市教育委員会が設けている「相談教室」に、5年生になって足を運べるようになった。最初は10分程度を過ごして、帰宅。それが徐々に20分、1時間になっていく。

そこでアイドルグループのダンスの映像を見ながら、同じ悩みを持つ級友に振りを教えていると、担当の教諭から声を掛けられた。
「麻実ちゃん、踊りが好きなの? やってみたら?」
級友と独学で、ダンスを考え始めた。朝に教室に来て、友人に振りを教えて、給食を取って帰る。
「明日はサビの練習ね」
次の日も学校に来る理由ができた。没頭している様子を見た教諭から、音楽室を使った発表会を提案される。観衆は15人程度。教員や保護者だけを相手にした、小さなデビューだった。初めて人前でダンスを披露した。大きな拍手が贈られた。
「自分をそのまま受け入れてもらえたという達成感。すごくうれしかった」
後悔はない、でも劣等感は今も

日本財団が中学生年齢の12~15歳を対象に昨年実施した調査によると、「年間30日以上欠席の不登校である中学生」は約10万人。その一方、「学校には行っているが教室には入れない」「授業に参加する時間が少ない」など、文科省の「不登校」の定義から外れるものの「不登校傾向にあると思われる中学生」は、約33万人に達した。
彼らが通いたいと思えるのは、どのような学校か。「自分の好きなこと、追求したいこと、知りたいことを突き詰めることができる」「自分の学習のペースにあった手助けがある」「常に新しいことを学べる」。多かった回答からは、自分に適した教育環境を求めている姿が浮かぶ。
自己表現の手段をダンスに見いだしたasamicroも、自信を回復できたわけではなかった。中学に進学しても、人前では字も書けないほど、自己肯定感を持てないでいた。中学生向けの相談教室に通い続けた。
ダンスがあったから、自分を保てたと思う。「授業で習うものではなく、誰もがゼロから始めるものだから、他人からの遅れを気にしないで済む」
自らの決断だった不登校を、後悔はしていない。表現者としての活動に、かつての苦悩が深みを与えていると感じるためだ。それでも劣等感が消えたことはない。遠足や授業の実験など、通学していれば得たはずの体験は、すっぽり抜け落ちている。それを埋めてくれるものを求めてダンスを究め続けている、ともいえるかもしれない。
一人一人がすてきになる

表現者として評価されたいとの考えがあるから、不登校の当事者だったことを積極的にアピールしてはいない。それでも機会があれば、同じ悩みを抱える子どもたちや周囲に向けて、体験を伝えることにしている。「彼らが何かを変えるきっかけになりたい」と願ってきたからだ。
イメージとは違っていた「学校の雰囲気」に気おされ、自分を自由に表現することができなくなった。やがて学校にも通えなくなった。そんな彼女を変えたのは、時に言葉以上の表現ができる「ダンス」だった。
今、目の前に、昔の自分と同じような悩みを抱えた子どもがいるかもしれない。そんな思いにかられて、彼女は熱心に教え続ける。自由に表現して。もっと自分を好きになって。そんな思いを込めて。
11月には東京・渋谷で、初の主演ダンス公演を控える。女性3人のチームによる舞台。総合演出や構成、振り付けを、自ら手掛けた。テーマは「洗濯」。今日を脱いで、明日に着る服を洗う―。 新たな一日の始め方を問うメッセージは、「朝ごはん」にも通底する。地元の子どもたちとも、ストリートダンスを基本にしたパフォーマンスで共演する。
8月23日、横須賀。2時間余りの稽古を終えた子どもたちに語りかけた。「今までと違う自分を出してほしい。正確にそろって踊るより、その子のキャラクターが立っているほうが、一人一人がすてきになる」
=敬称略
つらさを否定しないで 不登校当事者らがメッセージ
この記事はLINE NEWSと神奈川新聞の特別企画記事です。