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戦争体験「若い人と共有」 写真・本人語りをデジタル化

社会 | 神奈川新聞 | 2019年8月11日(日) 05:00

 戦争体験者らの自分史を本人のナレーションと写真で映像化し、共有する活動「デジタルストーリーテリング」(DST)に、川崎市幸区の須摩修一さん(63)が取り組んでいる。4日に同市中原区で開かれた市主催の「平和を語る市民のつどい」では、2人の戦争体験者の作品を、本人たちを招いて上映。終了後、須摩さんはいつもの提案を来場者に投げ掛けた。「皆さんがどう感じたか、対話したい」


元女子通信隊員の外間加津子さん(左)と中国残留孤児だった猿田勝彦さん=川崎市中原区
元女子通信隊員の外間加津子さん(左)と中国残留孤児だった猿田勝彦さん=川崎市中原区

 1話目の主人公は、同市麻生区に住む外間加津子さん(91)。会場のスクリーンに、編集された自分史が流された。

 外間さんは16歳で女子通信隊に入隊。勤務地は東京・竹橋の陸軍東部軍司令部で、各地の監視所で確認した戦闘機の発見時刻や高度などを機械に入力した。日に日に空襲は激しくなり、多くの同僚が犠牲になった。職場に向かう途中、子をかばうように覆いかぶさり、焼け死んだ親子らしき遺体も目にしたという。

 戦後、外間さんは教師として35年間働いた。そんな自分史の終盤に、「最後の一兵、頑張ってください」と書かれたはがきが映し出された。

 女子通信隊を含む東部1950部隊の慰霊碑が、東京・赤坂の圓通寺にある。毎年5月に開かれる慰霊祭の参列者は現在、外間さん1人となった。はがきは慰霊祭の取りまとめ役だった元同僚からの年賀状で、その人も既に鬼籍に入った。

 「これから仲間の消息を調べ、慰霊祭を今後も続けていくことが私の最後の務めと思っています」。外間さんはそう締めくくった。

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 続いて上映されたのは横浜市鶴見区の猿田勝久さん(75)の自分史。

 1945年4月の空襲で川崎市幸区の家が焼け、1歳だった猿田さんは父と身重だった母、祖母とともに新潟港から中国に向かった。終戦2カ月前だった。

 一家はチチハル市郊外で荷物を奪われ、裸同然になった。中国人の家で父が手伝いをして食いつないだ。敗戦2カ月後に妹が生まれたが、電気も診療所もない貧村で祖母、父、妹、母は病気などで相次いで亡くなった。8歳だった。中国人の養父に育てられ、81年にようやく一時帰国。永住帰国がかなったのは85年のことだった。

 映像のナレーションで猿田さんが力を込める。「戦争は多くの命を奪い、運命を狂わせる。心もズタズタにする。私のような不幸な体験をしないよう、二度と戦争のない平和な世界を築いてほしい」

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