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時代の正体〈519〉いまこそ加害に向き合う 朝鮮人追悼文取りやめ問題

社会 | 神奈川新聞 | 2017年9月13日(水) 02:00

フィールドワークの参加者に語り掛ける北さん(左)=久保山墓地
フィールドワークの参加者に語り掛ける北さん(左)=久保山墓地

【時代の正体取材班=石橋 学】在野の歴史研究家、北宏一朗さん(76)は地元の平塚市で旧日本海軍の毒ガス兵器工場の隠された過去を掘り起こしてきた。関東大震災における朝鮮人虐殺の史実がねじ曲げられるのを目の当たりにしたのは2012年。今夏、虐殺の事実さえ認めようとしない都知事の登場を見て、警鐘を打ち鳴らすその手にいよいよ力を込める。原爆により消されかけ、しかし血で手が汚れている側の人間の、それが責務だと任じて。

 9月1日、横浜市西区の久保山墓地。朝鮮人の慰霊碑を前に「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」の代表として北さんはフィールドワークの参加者に語り掛けた。「94年前のきょう何が起きたのか思い巡らせてほしい。ちょうど今頃、街は炎に包まれていたはずだ」

 やがて「朝鮮人が襲ってくる」という流言が飛び始める。警察、軍隊までもが信じ、自警団を組織した人々がとびくちや鉄棒を容赦なく振り下ろしていく。

 「横浜は虐殺の地だった」。加害の歴史に目を向けようと5回目を数えたフィールドワークだが、北さんは例年以上に力説した。「過去の出来事ではない。現存する過去がいま、目の前に立ち上ってきていることが分かるはずだ」

 破局へと続く道をまた一歩進んだ実感があった。やはり9月1日に東京・両国の横網町公園で毎年行われている朝鮮人追悼式に、小池百合子知事が追悼辞を寄せることを拒否した。「都慰霊協会主催の大法要で全ての方々への追悼を行っていきたいという意味から、特別な形で提出することは控えた」。自然災害の犠牲者と、震災を生き延びながら人の手で命を奪われた犠牲者を同列に扱うという錯誤。会見で小池知事は「虐殺」「殺害」はおろか「朝鮮人」と口にすることもなかった。特別に追悼する必要がないというメッセージが何を意味するかは、歴史否定主義者の喝采に明らかだった。

 〈追悼文送付を断るという大英断に、心より称賛の言葉を送りたいと存じます〉

 朝鮮人暴動はデマではなかったというデマをもって「過剰防衛もやむを得なかった」と正当化することで虐殺の事実を否定し、公園から追悼碑の撤去を求める歴史否定主義団体「そよ風」はその日、都の許可を得て「真実の慰霊祭」と称する集会を同じ公園内で開いた。旧日本軍慰安婦や南京大虐殺、強制連行、植民地支配による収奪についても「ありもしないことで私たち日本人がおとしめられている」と気勢を上げ、朝鮮人の追悼に集まった在日コリアンをはじめとする人たちの目と鼻の先で敵意をむき出しにしてみせた。

 「うそつきだから公園から追い出せ」という排斥の叫びと、94年前に「何をしでかすか分からないから殺してしまえ」と実行された蛮行を結ぶ憎悪のまなざし。北さんは意を強くする。「差別と排外主義こそは戦争への道。その原点が関東大震災の虐殺にある」

破局招いた隠蔽


震災当時少年だった石橋大司さん(故人)が1974年に私財を投じて建立した慰霊碑=久保山墓地
震災当時少年だった石橋大司さん(故人)が1974年に私財を投じて建立した慰霊碑=久保山墓地

 目を覆う惨劇は震災直後の混乱のさなかに偶発した出来事などでは決してなかった。政府の中央防災会議がまとめた「1923関東大震災報告書第2編」は記す。

 〈広範な朝鮮人迫害の背景としては、当時、日本が朝鮮を支配し、その植民地支配に対する抵抗運動に直面して恐怖感を抱いていたことがあり、無理解と民族的な差別意識もあったと考えられる〉

 宗主国による収奪で困窮に陥り海を渡った人々への蔑視と、差別し、弾圧していたがゆえに仕返しされるのではないかという身勝手な恐怖、自らも手を下した治安当局のお墨付きという、過ちに過ちを重ねた果ての凶行だった。

 北さんは言う。「だが、政府は虐殺の事実を隠蔽(いんぺい)し、市民もほおかむりを続けた。犠牲者には中国人も数多くいた。アジアの人々を人とも思わぬ差別と蔑視を反省どころか温存したからこそ、残虐な侵略戦争や戦争を支えるための朝鮮半島からの収奪も可能だった」。旧日本軍相模海軍工廠(こうしょう)の研究を通じ、中国大陸で行った毒ガス戦の非道、製造過程でガスにより体をむしばまれ使い捨てにされていった朝鮮人徴用工に関する証言を集めてきたからこその確信がある。

 だから負の歴史の偽装が許せなかった。横浜市教育委員会が発行する中学生向け副読本の記述が改訂されたのは2012年のこと。「虐殺」は「殺害」に書き換えられ、虐殺の主体を明示した「軍隊と警察、自警団」という一節から「軍隊と警察」が削除された。虐殺を目撃した当時の少年が半世紀余りのちに久保山墓地に建立した「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」の写真と説明文も載らなくなり、反省の心まで隠された。

 「歴史を学ぶ市民の会」や歴史研究家の抗議をよそに、右派系市議の意に沿った歴史教育の後退は続く。16年度には副読本が丸ごと刷新され、虐殺の背景を説明する植民地支配の記述も消えた。残されたのは「火災と余震に襲われた市民は不安にかられました。この混乱の中で、根拠のないうわさが流れ、朝鮮人や中国人が殺害される、いたましいできごとも起こりました」という一文。「『いたましいできごと』とは、もはや改ざんどころではなく歴史の抹殺だ」

 北さんはしかし、と立ち止まる。「旧日本軍慰安婦の記述が教科書から消されて久しい。つまり副読本問題も、小池知事も突然現れたわけではない」。問いはこう続く。「この国が加害について一体いつ反省をしたというのだろうか」

戦後平和の欺瞞


フィールドワークを終え参加者に感想を問いかける北さん=中村地域ケアプラザ
フィールドワークを終え参加者に感想を問いかける北さん=中村地域ケアプラザ

 消されゆく歴史に目を凝らす。それは「私自身、一歩間違えば、溶けていなくなっていた人間だから」。北さんは広島の爆心地直下、現在は平和記念公園となった旧中島本町で暮らしていた。父親の仕事で1週間ほど呉に滞在していたため一家は難を逃れた。親族は骨さえ残らなかった。

 原爆投下直後に戻り残留放射線を浴びたからだろう、両親と姉はそろってがんで亡くなった。なぜ広島だったのか、に思いは巡る。「軍都だったからだ。被害の街は加害の街でもあった。その事実を見落とせば、破局に至った本当の原因を見誤る」。隠された負の歴史を追い、講演や学習会を続ける北さんの原点がここにある。

 プロパガンダ映画を手掛けた「満州映画」の仕事をしていた父の戦後の振る舞いが忘れられない。満州から引き揚げた技術者や俳優が夜な夜な集まり酒を酌み交わす。かの地で謳歌(おうか)した支配者としての日々を自慢してみせ、軍歌を響かせた。「翌朝になれば素知らぬ顔で平和な日常を送る。反省など誰もしていなかった」。北さんはうめくように言う。「海ゆかばに討匪行(とうひこう)。ふとした瞬間、覚えてしまった軍歌が口を突く。そんな自分がたまらなく嫌だ」

 そうして戦後日本が取り繕ってきた平和の欺瞞(ぎまん)を改めて突き付けたのが在日コリアンへのヘイトスピーチだった。日の丸を林立させ新宿の繁華街を行くヘイトデモの一団に出くわした。若い女性が拡声器で「不逞(ふてい)鮮人をぶち殺せ」と叫んでいた。「関東大震災の時に朝鮮人をテロリストと称した言葉はしっかり生きていた」

 在日の街、川崎・桜本がヘイトデモに襲われると知り、抗議のカウンター活動に加わった。戦後一方的に外国人にさせられ、平和を享受するどころか、なき者のように埒外(らちがい)に置かれ、命懸けで抗(あらが)いの声を上げなければならなくなった側に今こそ立たねばと思った。

 国は北朝鮮による拉致問題を持ち出し、朝鮮学校のみを高校無償化制度から排除し、それにならうように自治体による補助金打ち切りが相次ぐ。7月、無償化除外を違法と断じた大阪地裁判決に「自分は存在していてもいいのだと初めて認めてもらえた」と涙した女子生徒の姿が教えてくれていた。「この社会は、そこまで徹底的に在日コリアンを無視し、追い詰めている」

 そして今、人工衛星の軌道のはるか上を通過するミサイルに「Jアラート」という名の空襲警報が打ち鳴らされ、避難訓練が各地で繰り返される。怖がれ、という政府、自治体による強要が北朝鮮への敵視をあおり、目の前の在日コリアンへの憎悪にいつ転化してしまわないか、北さんは息をのむ。切り捨てられてきた人々を顧みず、自分たちだけのために守られてきた平和は、小池知事がもはや隠そうとしない「都民ファースト」を貫く排外思想と遠いようでいて、どこか地下茎でつながっている。

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