
【時代の正体取材班=石橋 学】せめてこの日ばかりはと、こらえていた怒声がついに響いた。
「なぜ、こんなものを許可したんだ」
抗議に詰め寄る市民を、公園管理担当の職員と警察官が壁となって押し返す。
「下がって! 主催者は許可を取ってるんだから」
そう、それは東京都によって許可された。歴史の否定によって在日コリアンをおとしめる人種差別団体であるにもかかわらず。それも、この日、この場所で。だから許せなかった。
9月1日、両国国技館にほど近い東京都墨田区の都立横網町公園。関東大震災の犠牲者を悼み、教訓を胸に刻む場で、これ以上ない冒とく(ぼうとく)、かつてないおぞましい光景が広がっていた。
虐殺された朝鮮人を追悼しようと集まった約500人の輪の20メートルほど先、黒服の人種差別主義者数十人が黙とうをしている。歴史否定主義団体「そよ風」や人種差別団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の後を継ぐ極右政治団体「日本第一党」のメンバー、ヘイトデモ・街宣に参加してきた面々も見える。
〈一九二三年九月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い命を奪われました。私たちは、震災五十周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を識ることは不幸な歴史をくりかえさず、民族差別を無くし、人権を尊重し、善隣友交と平和の大道を拓く礎になると信じます〉
1973年に建立された追悼碑の目と鼻の先に掲げられた日章旗と「六千名虐殺は本当か!日本人の名誉を守ろう!」の立て看板。攻撃的なあいさつからして慰霊とはほど遠かった。
「私たちの父祖が6千名の朝鮮人を虐殺したという虚偽があたかも真実であるかのように認識されつつある。放置してきたことは慚愧(ざんき)の念に堪えない。本日ここに慰霊祭を執り行うにあたり、父祖に対して名誉回復をおろそかにして来たことをおわびしたい。失われた父祖の名誉を回復に努めることを誓う」
数に焦点を当て「証拠を示せ」と攻撃し、動かぬ歴史の事実まで「自虐史観」と否定して、果ては「なかった」という虚説を流布させる、強制連行や旧日本軍慰安婦、南京大虐殺を巡っても繰り返されてきたやり口。憎悪を宿す目に、われわれはお墨付きを得ているのだといわんばかりの蔑(さげす)みの色がにじむ。
1週間前、都知事の小池百合子の冷酷な弁が重なった。
「都慰霊協会主催の大法要で全ての方々への追悼を行っていきたいという意味から、特別な形で提出することは控えた」
朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を今年から取りやめた理由を小池は会見で語った。その日、そよ風のブログには「小池都知事の英断に感謝します!」とのタイトルが躍った。
存在の否定

災害の犠牲者と虐殺された犠牲者を同列にしていいはずがなかった。震災禍を免れながら、人の手によって奪われた命だ。それも「朝鮮人が井戸に毒を入れている」「朝鮮人が襲ってくる」というデマを信じた軍隊や警察、自警団の手によって。「特別な形で提出することは控え」れば、虐殺という差別がもたらした、あってはならない特別な歴史そのものを否定することになる。事実会見で小池は「殺害」という言葉さえ口にしようとしなかった。
女子大学院生は言わずにはいられなかった。
「私は23歳の在日コリアン3世です。朝鮮人虐殺は在日コリアンの被差別の原点だと考えています。これが認められないなら、私たちの存在自体が消されているのも同然です」
8月31日、都庁前で開かれた抗議集会でマイクを手に取った。街頭活動もスピーチも初めてだった。「声を上げることさえ怖くなってきている。信頼している知人からも『最近北朝鮮すごいね』なんて言われ、どう言葉を返していいか分からない。きょうはこういう場を日本の方がつくってくれて、一緒にいてくれるから話すことができた」
翌1日。横網町公園に彼女の姿があった。追悼の碑、式典そのものが特別な意味を持っていた。碑を前にすると思う。「そこにあってくれてありがとうって。碑には歴史が刻まれ、そこに集う日本の方は私たちのことを知り、心を寄せてくれているのだから」
日常で味わい続ける実存感のなさがある。朝鮮学校、韓国学校に通い、日本の大学へ進んだ。「私、在日コリアンの3世なんだ」と自己紹介すると大抵は「へえー」でおしまい。「一から説明することに次第に疲れていった」。あるときは「なんでわざわざそんなこと言うの」ととがめられた。「日本人と変わらないよ」という上から見下ろし、同じ高さまで引っ張り上げるようなまなざし。
「気にしすぎなのかな、自分がいけないのかなと思った。でも、伝えないといつまでも分かってもらえない」。やっぱり、と言う。「隣にいる在日のことを知らなすぎる。前提として在日とはどういう存在かという共通認識が社会にないと、その時点で存在が認められていないような、存在が消されているような気がしてしまう」
原点に朝鮮人虐殺のその後がある。「誰も責任を取らない。調査もしない。殺された人の名前も、遺骨もどこにあるのかも分からない」。差別、蔑視の果てに命を奪ってなおこれほど徹底した無視、非人間的扱いがあるだろうか。
だから、都庁前の抗議で参加者が掲げていた「虐殺をなかったことにしないで下さい 何度も殺さないで下さい」というプラカードが印象に残っていた。知事の決定であったことがなかったことにされ、私の先祖と私はまた殺された。持ち主が同じ在日3世と知り、その叫びが分かる気がする。そう、私たちはすでに殺され続けてきた-。
そうして94年がたち、歴史と向き合わないどころか否定論に乗ってみせる都知事が現れた。
「結構集まってますね」
遠目に映る日の丸と黒服の一団にその影響を思った。
歴史を学ぶ

歴史はいかに継承されていくのかが知りたくて、朝鮮人虐殺の研究を続ける。群馬県ではやはり追悼碑を巡って裁判になっていた。法廷という閉ざされた空間で息をのんだ。「私がこれまで接してきたような、普通に見えるおじさん、おばさんが撤去を求めて傍聴に来ていた」
いま、その普通に見える男女が日の丸の下に集っている。94年前、朝鮮人に手を掛けたのはまさに市井の人たちではなかったか。
勉強を続ける理由がもう一つあった。「自分が差別をしないため。いまの状況でいつそちらの側になってしまわないか、怖いから」。テレビは韓国、北朝鮮をあしざまに伝え、インターネットは罵詈(ばり)雑言に満ち、学校は歴史を教えず、「都民ファースト」を掲げて自らその先頭に立つ290万票を得た都知事がいる。「日常会話で嫌な思いをしても、かわいそうと思われたくなくて笑って受け流すしかない自分がいる。でも、その友だちも知らないだけ。自分が逆の立場なら戸惑うと思うし」
笑って受け流すしかない、という笑みがまさに浮かんだ。
「どう人と接すればいいか、分からなくなる」
そう口にしたとき、安寧が感じられる唯一の場までも破壊されたことを知った。