
19人の命が奪われた県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)の殺傷事件。国内外に絶望を広げた凶行は、社会の足元に潜むさまざまな問題を浮き彫りにした。障害者に対する差別と偏見、事件と福祉施策を絡めた政府や自治体の迷走、被害者の匿名発表を巡る報道の在り方、拡散する排他的思想-。1年の節目を過ぎて早くも風化の懸念が広がる今、突き付けられた課題に向き合う覚悟が改めて問われている。二度と悲劇を繰り返さないために。
〈園内で刃物を持った男が暴れている〉〈3人以上刺されている模様〉
2016年7月26日午前3時半ごろ、相模原市消防局が「多数負傷者発生の傷害事件」として報道各社に送信した1枚のファクスが、事件取材の始まりだった。
現場は、山梨県境に近い県北部にある定員160人規模の障害者入所施設。周辺には警察車両や救急車、テレビ中継車が並び、上空ではヘリコプターが旋回する。山あいの集落が、かつて経験したことのない喧騒(けんそう)と不安に包まれた。
報道各社は記者やカメラマンを大量投入して施設周辺で取材を重ねたが、被害者や家族とは接触できず、職員も口を閉ざした。動揺する地元住民から聞こえてきたのは「まさか」の声。その先にあったのは、最も身近で信頼できるはずの元職員の男による犯行という二重の衝撃だった。
時間の経過とともに死傷者数は46人に膨れ上がり、未曽有の悲劇を伝えるニュースが国内外を駆け巡る。凄惨(せいさん)な現場の様子や理不尽な動機が広がる一方、犠牲者の名前や人柄が報じられることはなかった。
「自分は救世主」
事件の全容が明らかになるにつれて浮かび上がってきたのは、障害者の命や尊厳を否定し、一方的に憎悪を募らせてきた植松聖被告(27)の心の闇。そして、独善的な差別感情に同調する声が身近に少なからずあるという事実だった。
「目標は重複障害者が保護者の同意を得て安楽死できる世界」「障害者は不幸を作ることしかできません」。事件の約5カ月前、被告が衆院議長公邸に持参した殺害予告の手紙には、信じがたい言葉が並ぶ。逮捕後も「自分は救世主」「社会のためになる」など殺害を正当化する主張を繰り返した。事件から約1年が過ぎた今も似たような考えを手紙につづり、被害者への謝罪は口にしていない。
ゆがんだ信念の下で実行された計画的な犯行。単独犯ではあるが、その背後には無数の“共犯者”が潜んでいることがうかがえる。