相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人の命が奪われた殺傷事件から1年が過ぎ、26日に初の月命日を迎える。「障害者はいない方がいい」。今も独善的な思想を抱く植松聖被告(27)に対し、事件直前まで翻意を説得し続けた幼なじみの男性(27)は改めて思いを巡らせる。「(被告は)容姿やお金という狭い価値観にとらわれ、自由じゃなかった。やったことは絶対に許されない」
重度・重複障害者は人の心を失った「心失者」。幸せとは「お金と時間」であり、「心失者」は「人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在」-。
事件から1年を経てもなお、被告は神奈川新聞記者との手紙のやりとりに変わらぬ主張を書き連ねた。
「簡単には考えなんて変わらないんだろう」。被告から直接、何度も持論を明かされてきた男性は思う。そもそも、なぜ障害者に差別的な考えを抱いたのか。いくら考えても答えは出ない。
「普通の良い奴」だった
振り返れば、被告は「事件を起こした以外は普通の良い奴」だった。
小中学校に障害のある子はいたが、差別や偏見を持っている素振りは全くなかった。学生時代には障害者支援のボランティアに参加していた。地元の友人と、被告が通う大学の友人が集まり、一緒に遊んだこともある。「友達同士をつなげられる、ムードメーカーのような存在」だった。
友人らに障害者への差別的な考えを明かし始めたのは、おととしの冬ごろ。男性には突然に思えた。「何のために生きているか分からない人にお金が無駄に使われる」「(殺害は)誰かがやらなきゃいけないこと」。異様な発言はエスカレートし、友人らは次第に距離を置き始めた。
ただ、孤立していたわけではなかった。事件の2週間ほど前。男性は意を決して被告宅を訪れ、差別的な考えを吹聴するのをやめさせようと説得を試みた。変わらず持論を語っていたが、「話に来てくれてありがとう」と感謝された。事件数日前に友人が集まって遊んだ時も、凶行に結びつくような発言はなかった。
しかし、事件は起きた。
時間を重ねるにつれて、被告のことは「自然と思い出さなくなった」。それでも「さと君(被告)を知っている友達として」事件と向き合い、話してきた。被告は司法の場で裁かれる。事件前の行動が伝わらなければ、その罪や責任が正しく判断されなくなるとの思いからだった。
「格好良くなりたい」
被告が繰り返していた言葉がある。
「世の中、金だよ」「格好良くなりたい」。整形手術の費用は借金から捻出し、二重まぶたに変え、鼻も高くした。「努力で手に入れた結果とか、金では買えないものがある」などと、男性は具体例を挙げながら伝えた。
「みんな好き勝手にやりたいことをやっている。だから、自分も同じようにやりたいことをやる」。そう言って障害者の殺害を正当化していた時にも男性は「自由の意味を履き違えている」と粘り強く訴えた。しかし、どれだけ言葉を重ねても、被告の考えは変わらなかった。
「優劣をつけたがるのが人間だし、差別はいろいろなところにある。他人の価値観に口を出すつもりもない。ただ、幸せとか不幸とかは他人が決めることじゃない」
被告をよく知るからこそ、男性は思う。障害者に対する被告の差別感情は、自身の劣等感の裏返しではないか。現状への不満を他人のせいにしていただけなのではないか。
「本当に自由なら、障害者が良いとか悪いとか思わない。結局は狭い価値観に縛られて、自由じゃなかったんだろう」