「おゝ今は何をか問はんや 満吉 満吉 良くも成し遂げたり 満吉は立派に死所を得たのだ」
横須賀市に住む元教諭、木村禮子さん(88)は最近になって、1930年代半ばに市内で海軍指定下宿を営んだ母の遺品から、古い手紙を見つけた。黄ばんだざら紙に記された「昭和十九年八月」の文字と差出人の名前。かつて下宿した水兵の父からだった。
その水兵は海軍工機学校の練習生時代に下宿し、木村さんの家を第二の故郷と親しんだ。彼は貯金通帳と保険証券をひそかに木村さんの母に託していた。戦死の知らせを受け母はそれらを送ったのだろう、手紙には返礼がつづられていた。
「何とも言えない悲痛な、叫ぶような手紙ですね。息子の名を何度も書くなんて…」
「捨て身の反撃」の陰で
彼は木村さんを妹のようにかわいがってくれた。
「勉強で毎日毎日奮闘の事と思います」「何処(どこ)とも知れない広漠たる大洋を東西南北に走…