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【終戦の日特集】私たちも戦争に加担 フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん

社会 | 神奈川新聞 | 2017年8月15日(火) 02:00

やすだ・なつき フォトジャーナリスト。海外取材のほか、東日本大震災以降は津波で義母が亡くなった岩手県陸前高田市を中心に被災地の取材も続けている。2012年、「HIVと共に生まれる ウガンダのエイズ孤児たち」で第8回名取洋之助写真賞受賞。著書に「写真で伝える仕事 世界の子どもたちと向き合って」(日本写真企画)、「君とまた、あの場所へ シリア難民の明日」(新潮社)、「それでも、海へ 陸前高田に生きる」(ポプラ社)など。
やすだ・なつき フォトジャーナリスト。海外取材のほか、東日本大震災以降は津波で義母が亡くなった岩手県陸前高田市を中心に被災地の取材も続けている。2012年、「HIVと共に生まれる ウガンダのエイズ孤児たち」で第8回名取洋之助写真賞受賞。著書に「写真で伝える仕事 世界の子どもたちと向き合って」(日本写真企画)、「君とまた、あの場所へ シリア難民の明日」(新潮社)、「それでも、海へ 陸前高田に生きる」(ポプラ社)など。

 敗戦から72回目の夏。そして、平和憲法が施行されて70年が過ぎた。時の宰相、安倍晋三氏は戦後の平和主義の象徴でもある9条の改正への意欲をあらわにする。先の戦禍を語れる世代が年々減っていく中、われわれは平穏な日常、安定した社会をどのようにつくっていけるだろうか。終戦記念日(15日)に合わせ、フォトジャーナリストの安田菜津紀さん(30)、元自民党総裁で衆院議長も務めたハト派の重鎮、河野洋平さん(80)、憲法学者で学習院大教授の青井未帆さん(44)、財政社会学者で慶応大教授の井手英策さん(45)の下を訪ねた。


時代の正体取材班=成田 洋樹】横須賀市出身のフォトジャーナリスト安田菜津紀さん(30)は、中東で戦争と隣り合わせで暮らす市井の人々と向き合ってきた。遠いかの地の戦争と、憲法9条を持つ日本は無縁と言えるのか。「私たちにも当事者の側面がある」として、改憲論議の前に平和国家のありようを問い直すべきだと訴えている。

◆ 中東でシリア難民の取材時に「どこから来たのか」と問われ、「日本から」と答えると握手をよく求められます。彼ら彼女らはこう続けます。「私がなぜあなたと握手をするか分かりますか。日本はどこの国も攻撃をしない国だからです」。この70年間、戦争を放棄した憲法9条の下で表だって他国を攻撃しなかったからこそ、日本は中東で信頼されているのです。

 ところが、集団的自衛権を柱とする安全保障法制が2015年に成立しました。紛争への対処で武力という選択肢を持つことによって、他国からの攻撃対象となるリスクが高まらないでしょうか。武力行使への歯止めがどんどん外れていくと、「どこの国も攻撃をしない」という日本のイメージが崩れかねません。日本の最大の強みを自ら手放すことに何の利点があるのでしょうか。

 武力に手を染める結果として苦しむのは誰か。取材を続けるカンボジアの歴史が教えてくれます。20年余りに及ぶ内戦の末に1991年に和平が成立しましたが、いまもなお多くの地雷が残されています。地雷埋設地とは気づかずに立ち入って被害に遭った人は数知れません。撤去には100年近くかかるともいわれています。戦争と無関係の市民が何十年にもわたって苦しむことになるのです。

 イラク人の友人に同世代のアリさん(仮名)がいます。イラク北部のモスル出身の彼は、2003年のイラク戦争後にシリアに避難しました。11年にシリアの内戦が始まると、モスルに戻ります。14年にモスルが過激派組織「イスラム国」(IS)の支配下となったため、いまは別の都市にいます。人生が戦争とともにあり、避難生活の連続です。彼は戦争の実相についてこう言いました。「僕たちはチェスの駒。チェスを動かす人間たちは、決して傷つかない」。犠牲になるのは市民であり、権力者は無傷だということです。

当事者の自覚こそ


 イラク情勢の混迷は、米国が始めたイラク戦争が発端の一つです。米国は11年の軍撤退時、人道支援の予算を大幅にカットしました。支援が必要な人や迫害される恐れのある人が放置され、受け皿の一つになったのがISでした。

 あるイラク人から「イラク戦争時に米国に追随した日本には何も責任はないのか」と問われました。在日米海軍基地がある横須賀市で生まれ育った私は開戦当時、高校1年生でした。通学で使う横須賀線の車窓から基地を見ると、いつもより艦船が多いことに気づきました。自分が暮らす街が米軍の出撃基地となり、世界の戦争とつながっていることを実感しました。


「日本は戦争に間接的に加担してこなかったか」と問題提起する安田菜津紀さん
「日本は戦争に間接的に加担してこなかったか」と問題提起する安田菜津紀さん

 日本の戦争との関わりはイラク戦争に限りません。北方領土問題が注目を集めた16年12月の日ロ首脳会談の影で、ロシア側がシリア問題に関して「日ロの見解はほぼ一致している」との声明を出しました。市民を巻き込んだ非人道的なロシアの空爆を、安倍晋三政権が黙認したと受け止められても仕方ありませんでした。しかし、安倍政権だけの責任ではありません。政権を選んだ社会に住む私たちも問われているのです。

 13歳の時に地雷で手足を失い、今は対人地雷とクラスター爆弾の廃絶に取り組むアフガニスタン人は私の取材にこう答えました。「クラスター爆弾の製造会社に日本の金融機関数社が出資していることに、日本人はもっと自覚的になるべきだ」。この爆弾の犠牲者の9割以上が市民です。出資金が爆弾製造に使われたかどうかは分かっていませんが、私たちが銀行に預けたお金が使われた可能性がないとは言い切れないのです。

 憲法施行から70年たちますが、9条があったから日本は平和だったと手放しで喜べる状況ではありません。9条があっても、日本は戦争に間接的に加担してこなかったでしょうか。私たちにも当事者としての側面があるのではないでしょうか。そのことを顧みないまま、安倍首相が9条改憲の意向を示していることには大きな疑問が残ります。

 シリア難民からは、広島・長崎の被爆から立ち上がり、経済発展を遂げた日本を称賛する声が上がります。内戦を克服し、いつか日本のような国になりたいと言う人もいます。しかし、私たちは彼らに誇れるような平和な国を築けているでしょうか。日本の難民認定数は極めて少なく、16年は申請者約1万人のうち28人だけです。保護を必要とする人を切り捨てる社会は、本当に平和と呼べるものなのでしょうか。遠い外国の人の痛みが人ごとであるなら、私たちの近くに住む人の痛みにも気がつけません。「9条を守るか、変えるか」という二者択一で思考を止めるのではなく、そのはざまで見落とされてきたことはないかと考えることが大切です。

在日憎悪と向き合う


 私の両親は小学生の時に離婚し、父とは離れて暮らしていました。父が亡くなった中学生の時、

 
 

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