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平和の鶴世界に羽ばたく 遺族、核廃絶へ各地に寄贈 15日に茅ケ崎にも

社会 | 神奈川新聞 | 2017年8月14日(月) 02:00

5日、米ユタ州ウェンドーバーで、佐々木禎子さんの折り鶴を贈るおいの祐滋さん(左)(共同)
5日、米ユタ州ウェンドーバーで、佐々木禎子さんの折り鶴を贈るおいの祐滋さん(左)(共同)

5日、米ユタ州ウェンドーバーで、佐々木禎子さんの折り鶴を贈るおいの祐滋さん(左)(共同)
5日、米ユタ州ウェンドーバーで、佐々木禎子さんの折り鶴を贈るおいの祐滋さん(左)(共同)

 広島原爆の犠牲となった少女が闘病中に作った折り鶴が今月、海を渡った。行き先は、原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の飛行訓練施設だった米空軍基地跡地に隣接する博物館。各地に折り鶴を贈る活動を続けている少女の遺族は「同じ過ち、苦しみを繰り返さないために、新しい歴史をつくっていきたい」と話す。平和希求の思いが込められた折り鶴は15日、茅ケ崎市にも寄贈される。

 人類最初の原子爆弾による攻撃から72年。「言葉では言い表せない。体が震えました」。今もエノラ・ゲイの格納庫が残る米ユタ州のウェンドーバー空軍基地跡地を、1人の男性が訪れていた。

 シンガー・ソングライターの佐々木祐滋さん(47)=東京都中野区。2歳の時に広島市に落とされた原爆で被爆し、白血病を患って12歳で他界した佐々木禎子さんのおいに当たる。


1954年8月、海水浴の帰りの船上で写真に納まる佐々木禎子さん(佐々木祐滋さん提供)
1954年8月、海水浴の帰りの船上で写真に納まる佐々木禎子さん(佐々木祐滋さん提供)

 「かつてエノラ・ゲイが飛び立った場所に折り鶴を贈り、平和を訴えることにはとても意義がある」。今月5日(日本時間6日)、格納庫での寄贈式典に際して、その思いを語った。

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 祐滋さんが生まれたのは1970年。禎子さんの死から15年がたっていたが、一家の元には禎子さんの話を聞きたいと記者や学生らが頻繁に訪ねてきた。「(禎子さんの両親の)じいちゃん、ばあちゃん、(禎子さんの兄の)おやじが繰り返し話す姿を見ながら育った。でも、会ったことも話したこともない叔母さんは遠い存在だった」

 転機は2000年。父雅弘さんが講演した都内の会場に同席した際、参加者から言われた。「あなたの体の中にも禎子さんのDNAが入っているじゃないの」

 自らも被爆2世だと気付かされた。戦後55年を迎えた当時、祖父母は年老い、父も還暦を迎えようとしていた。「じいちゃん、ばあちゃん、おやじが死んだら、誰が禎子おばさんや被爆者のことを語り継いでいくのか、と」。語り継ぐことを心に決めたという。


「僕はただ、天国の禎子おばさんに動かされているだけのような気がする」と話す佐々木祐滋さん=東京都中野区
「僕はただ、天国の禎子おばさんに動かされているだけのような気がする」と話す佐々木祐滋さん=東京都中野区

 ロックバンドのボーカルだった祐滋さんは、禎子さんを歌った曲「SADAKO」を作った。路上やライブハウスで歌い始めると、広島市内の小中学校から講演や演奏依頼が相次いで舞い込んできた。

 当初は手探りだったと振り返る活動も、「偶然とは思えない出会いが進化させてくれた」という。

 2007年、禎子さんの話を知った米中枢同時テロ追悼施設の関係者とつながり、ニューヨークの追悼施設に国内外で初めて折り鶴を寄贈した。それが縁で、原爆投下を命じた当時の米大統領ハリー・トルーマンの孫、クリフトン・トルーマン・ダニエル氏とも面会した。

 「米国内では原爆を正当化する声が根強い一方、大量殺人を命じた大統領の孫だと非難する声もある。ダニエルさん自身、思い悩み、苦しんできたと話してくれた。子どもたちに恨みや憎しみではなく、原爆を投下した側、された側、双方が味わったつらさを伝えたい。核兵器で再び尊い命が奪われないよう、共に活動していこう、と話し合った」

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 ことし7月、

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