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記者の視点=経済部・田崎基
【次代への問い】(上)「平和の国体」どこへ

社会 | 神奈川新聞 | 2019年4月30日(火) 11:41

 天皇制の維持と、退位制度の創設について強く思いをにじませたビデオメッセージが流れて2年8カ月余。「平成」は終わり、「令和」へと時代が移り変わろうとしている。

 この異例の「改元」は、あの「お言葉」から始まった。


象徴としての務めについてのお気持ちを表明される天皇陛下=7日、皇居・御所応接室(宮内庁提供)
象徴としての務めについてのお気持ちを表明される天皇陛下=7日、皇居・御所応接室(宮内庁提供)

 〈即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました〉
 
 〈日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています〉
 
 〈私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきました〉
 
 神妙な面持ちで、憲法上、国政に関する権能を有しないことにも言及した上で、選び抜いたであろう言葉の一つ一つを語った。

 「体力の面」「体力の低下」「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合」について懸念を示し、健康上の問題が起きたとき、これまで追求してきた「象徴としての務め」がなしえなくなるとし、最後にこう締めくくった。

 〈国民の理解を得られることを、切に願っています〉

反省と低頭の旅

 かつてこの国は「天皇を中心とする国」だった。

 「天皇」は神聖不可侵であり、国の元首にして統治権を一手に掌握する存在であった。その名を御旗として掲げ、アジア諸国を植民地支配し、無謀な戦争へと突き進み、そして国は焦土となった。あがめた国体をも喪失しかねない窮地へと追い詰めたのは為政者であった。

 今上天皇が「お言葉」の中で強い思いを込めて語った「象徴としての務め」は、その大日本帝国による加害の歴史について、諸国を訪問し、反省を述べ、低頭する旅でもあった。

 「不幸な戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう」(1991年、タイ)、「我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた」(92年、中国)、「9百人を超える島民が戦闘の犠牲となったことも決して忘れてはならない」(05年、サイパン)-。

 再び戦争の惨禍を繰り返してはならないという祈りは、今上天皇が「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」として約30年にわたり取り組んできたことだった。

 戦前と戦後の天皇と、日本の国体のありようを俯瞰(ふかん)すると、そこに国体の変遷を読み取ることができる。

 戦前の国体が「天皇を中心とする国」であったとしたら、戦後の国体とは非戦、反戦、つまり「平和を追求する国」だったのではないだろうか。

「平和」の裏側に

 憲法前文にはこうある。

 〈政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する〉
 
 〈日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した〉
 
 〈われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ〉
 
 一つの時代が移り変わろうとするいま、もう一度目を凝らしたい。

 憲法9条にはこうある。

 〈日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する〉
 
 〈前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない〉
 
 戦後、日本の国体とも言うべき「平和」は、しかし揺らぎ続けてきた。

 その表裏として「日米安保体制」と、自衛隊という「軍事」が付きまとい続けてきたからだ。

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