歌声をかき消すほどの歓声。ザ・ビートルズを見て泣き叫ぶ客を見たとき、「えらいことになっちゃったなと思った」。東芝音楽工業(現ユニバーサルミュージック)でビートルズの初代ディレクターを務めた高嶋弘之(83)は51年前の6月30日、東京・日本武道館で見た光景を振り返る。
日本から遠く離れた英国リバプールで生まれた音楽グループは欧米での成功を経て、1966年6月29日に初来日。到着した羽田空港に大勢のファンが集まる一方、「武道の殿堂で、音楽の演奏を行うなどけしからん!」と抗議する右翼らが「Beatles Go Home」と書いた横断幕を掲げ、街宣車で武道館周辺から声を上げた。台風とともに降り立った4人を巡り嵐のような102時間が巻き起こった。
「ヒットさせる」という信念を貫き、数々の企画を考案してきた高嶋は達成感に体を震わせた。
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高嶋とビートルズの出合いは62年。16歳だったポール・マッカートニー(75)が作ったデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」が全英チャートで17位になったことを英音楽誌「メロディーメーカー」で知り、船便でレコードを取り寄せた。
「最初に聴いたときに、『おぉ、これは!』と思えていたらかっこいいけれど、実は『何じゃこりゃ』と、レコードを放り投げた」と苦笑い。しかし、全英1位を記録した2枚目のレコード「プリーズ・プリーズ・ミー」を耳にした際は、「新しい時代の音楽だ」とピンときた。「オレが何とかしないと」。軽快な音楽に入社4年目の高嶋の心が躍った。
エルビス・プレスリーなどが人気だった当時、日本で英国の無名グループを売り出すのは至難の業だった。全英1位の看板では、ラジオ局は相手にしてくれない。説明してもダメだ。頭をひねり思いついたのは「現象をつくること」。はったりでもいい。海の向こうの熱狂を、国内で浸透させたかった。
東京・銀座にあった老舗の洋服店「京橋テーラー」に飛び込み、「ビートルズは日本でブームになるから服を作ったらもうかる」と掛け合い全国発売することを決定。「ビートルズ・ルック」と名付けた襟なしスーツを宣伝マンに着せ、銀座4丁目を歩かせた。
別の日には、宣伝担当者を理髪店に呼び、4人のトレードマークだったマッシュルームカットでそろえた。その様子を、「早くも街の理髪店に現れたビートルズカット希望の青年」と日刊スポーツの報道カメラマンが社会現象として伝えた。テレビでも紹介され、追い風になった。
64年2月、日本でのデビュー曲「抱きしめたい」のレコードにはビートルズと同じ服を発注できる、と歌詞カードに広告を付ける国内初となる試みを手掛けた。高嶋の“工作”は実を結び、発売直後に予想を上回る反響があった。
「英語のタイトルは長く、分かりにくい」と、「I Want To Hold Your Hand」は「抱きしめたい」と独断で邦題を付けた。
「男女七歳にして席を同じうせず。節制があった時代だから『触れてみたい』ではなく、インパクトのある『抱きしめたい』とした。電車の中とか公衆の場でもハグする今なら、生まれない言葉」。B面の「This Boy」を「こいつ」としたのは「抱きしめたい! のは、こいつ」だからと物語が隠れている。
「ノルウェー製の家具」の意味を持つ「Norwegian Wood」は、ジョン・レノンの物憂げな声を聴き、目の前に深い森が広がった。
「『ノルウェーの森』しか浮かばなかった」。後に高校・大学で後輩だった村上春樹が同名小説で、曲について触れるなど多くの表現者に影響を与えていく。「誤訳から始まったけれど、最大の業績」と愉快そうに笑った。
「ヒットはつくるもの」
64年からの2年間で日本独自盤も入れ27枚のシングルを発売。5カ月連続でレコードを発表するなど、人気をけん引した。
英国でのデビュー曲のヒットチャート17位は、マネジャーを務めたブライアン・エプスタインが1人で、レコード1万枚を購入するという“売り出し術”があった。「世の中にある固定概念というハードルを越えるためには、傾向と対策が大事」と話す。
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ビートルズのために心血を注いだ3年間。対面は66年6月、東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)で実現した。
石坂範一郎専務、人気歌手だった加山雄三とともに出向いた10階のフロア。部屋に入ると、左にポール、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターが並んでいた。
「ハウ・ドゥー・ユー・ドゥー?」と声をかけ、石坂はポール、加山はジョージ、高嶋はリンゴと握手を交わし、1人いないことに気がついた。
高嶋が振り向くと、忍び足でやってきたジョンが加山の両脇に手を入れ、持ち上げてみせた。おどけるジョンを見たポールがゲラゲラと声を上げて笑った。目を丸くして驚く加山。緊張が一気にほぐれた。
ビートルズと会食の予定だった高嶋と石坂は、エプスタインに別室に呼ばれ、食事はかなわなかった。会議では、顔面蒼白(そうはく)で科学者のような風貌のエプスタインに、「力を入れている(女性歌手の)シラ・ブラックを日本でも売ってほしい」と依頼され、同じ32歳とは思えないオーラにおののいた。
会議後は、すき焼きに舌鼓を打つ加山らの輪に加わらず、まっすぐ帰宅した。出会いを回想したとき、頭を下げて、ひれ伏すようにしていた自分に腹が立った。「ビートルズを日本で売ったのはオレじゃないか。