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【平成の事件】横須賀・米兵強盗殺人事件
開かぬ「パンドラの箱」地位協定 米兵犯罪遺族の痛み

社会 | 神奈川新聞 | 2019年4月16日(火) 09:30

 日米安全保障体制を象徴する街、横須賀。日米両国の部隊が重要拠点を構えるこの地で、2006年に米兵が市民を惨殺する事件が起きた。米軍との共存路線を歩む街に暮らし続けながら、遺族はこの13年間、被害や日米関係にどう向き合ってきたのか。(高橋 融生)


米兵による犯罪の撲滅を訴える山崎さん=横須賀市内
米兵による犯罪の撲滅を訴える山崎さん=横須賀市内

 横須賀港を臨むマンションに暮らす山崎正則さん(71)のもとには年に2回、刑務所からの封書が届く。

 被害者支援のために導入された制度に基づく通知。内縁の妻=当時(56)=を殺害した罪で服役している米兵の受刑の様子を伝える内容だ。

 「仮釈放されないか、今はそれが不安でね」

 あの事件から、13年が過ぎた。2人で生活し始めたばかりだった家から、今も離れられない。山崎さんの亡母のためにと妻が選んでくれた仏壇に、今は妻自身の遺影が立ててある。

地位協定「運用改善の機能を示す」


起訴前に身柄が神奈川県警に引き渡された米兵=2006年1月、横須賀署
起訴前に身柄が神奈川県警に引き渡された米兵=2006年1月、横須賀署

 京急横須賀中央駅に近い雑居ビルの階段踊り場に、妻が倒れていたのが見つかったのは、2006年1月3日の早朝だった。肋骨は折れ、内臓は破裂。財布から現金が抜き取られていた。

 街頭の防犯カメラには、彼女に近づく外国人の男の姿が映っていた。1キロほど離れた場所には、米海軍横須賀基地がゲートを構える。神奈川県警は米軍に照会した。既に基地に戻っていた空母「キティホーク」乗員の男が、米軍当局の捜査に、事件への関与を認めた。

 日米地位協定では、米軍関係者による公務外の犯罪の1次裁判権は日本側にあるが、容疑者の身柄が米軍側にある場合は、起訴まで米軍が拘禁を続けるとも規定されている。ただ、1995年の日米合同委員会合意で、殺人や強姦に関しては、米側が日本への起訴前の身柄引き渡しに「好意的な配慮を払う」とする地位協定の運用改善がなされていた。

 元米国務省日本部長のケビン・メア氏は当時、東京の在日米大使館で安全保障部長を務めていた。事件の連絡を受けて「すぐ日本側に引き渡すべきだ」と主張したという。

 「証拠もあり、本人も関与を認めている。軍内部からは運用面での前例となることに慎重な意見も上がったが、『これが起訴前引き渡しの対象に当てはまらないなら、何が当てはまるのか』と言った」

 議論はワシントンに移り、最後には起訴前引き渡しに応じるとの結論に至る。日米合同委員会が開かれ、外務省からの引き渡し要請に、在日米軍は即座に応じた。メア氏は「地位協定の運用改善が機能していることを示す必要もあった」と回想する。

米軍の重要拠点、共存路線を歩む街

 米軍の世界戦略にとって、横須賀は極めて重要な拠点だ。西太平洋からインド洋までを担当区域に収める第7艦隊の旗艦「ブルーリッジ」や巡洋艦、駆逐艦の実質的な母港でもあり、艦船の修繕や補給の役割を担う。


横須賀基地に配備されている米軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」
横須賀基地に配備されている米軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」

 1973年からは空母が配備されている。現在の原子力空母「ロナルド・レーガン」は5隻目。米空母機動部隊の拠点のうち、米本土の外にあるのは世界に横須賀だけだ。2006年の事件で米軍が対応を急いだのも、原子力空母の配備を控えて地元世論に敏感になっていたためといわれる。

 市民も米軍関係者と多層的な関係を築く。旧日本海軍が「横須賀鎮守府」を構えた明治時代から軍港として刻んできた歴史とも、無縁ではない。


「どぶ板通り」で毎月開かれている日米合同のパトロール=3月15日夜
「どぶ板通り」で毎月開かれている日米合同のパトロール=3月15日夜

 3月15日の深夜。基地の近くに米兵相手のバーが連なる「どぶ板通り」に、総勢80人の行列がやってきた。

 米軍や地元住民会などがゴミ拾いを兼ねて、日米合同のパトロールを続けている。200回を超えた恒例行事。隊員に交じって基地司令官も掃除に汗を流す。

 地元町会の上田滋会長が、活動の意義を強調する。「どぶ板で飲んでいる軍人と、ボランティアで住民と一緒に掃除をしている軍人が互いに姿を見せ合うことは、事件の抑止にもなるはずだ」

 新たに横須賀に赴任してきた米軍人や家族には、生活の基礎を学ぶオリエンテーションの受講が義務づけられる。初歩的な日本語から生活上のマナーまで内容は幅広い。最終日には、集団での鎌倉観光が受講者を待つ。自力で乗車券を買って電車に乗り、横須賀まで帰ってくることが“検定試験”だ。


日本での生活について学ぶオリエンテーションに参加する米軍関係者=横須賀基地
日本での生活について学ぶオリエンテーションに参加する米軍関係者=横須賀基地

「米軍にも事件の痛みが伴うように」

 だが、こうした地道な活動とは裏腹に、被害回復を巡る制度の実情に、遺族は今も不信感をぬぐえないでいる。

 刑事事件の判決から半年後、山崎さんは日米地位協定に伴う民事特別法に基づいて、加害者の米兵と日本政府を相手に民事訴訟を起こした。「公務外」の犯罪ではあっても、「米軍当局に監督責任があったことを認めさせたい」という点にこだわった。

 2009年の横浜地裁判決は米兵への請求は認めた一方、国への請求は退ける。控訴や上告も退けられ、判決は確定した。

 公務外で事件を起こした米兵本人に支払い能力がない場合、米政府が慰謝料を支払う制度が、地位協定にある。山崎さんの妻の殺害事件を巡り、米側は2015年に示談を申し入れた。

 だが、山崎さんは内容に目をむいた。提案額は、訴訟認定額の4割。加害者の米兵を免責することも、支払い条件に盛り込まれていたからだ。

 「日本をばかにしている」。日本政府の担当者にも、思わず声を上げたという。「あなたたちは『被害者に寄り添う』と言っていただろう。だったら、アメリカに言ってくれ」

 交渉は難航した。最終的に山崎さんは2017年、示談を受け入れる。米側からの慰謝料と確定判決の認定額の差額は、日米特別行動委員会(SACO)の合意に基づいて、日本政府が見舞金の形で肩代わりした。

 山崎さんも、すべての米軍関係者に憎しみを抱いているわけではない。

 事件後、英文の短い手紙が届いたことがある。「私たち全員が申し訳なく思い、憤っています」。加害者の米兵と同じ空母の乗員という男女3人の名が添えられていた。

 それでも遺族として、日米地位協定の改定を願う思いは強い。「米軍は事件が起きるたびに綱紀粛正を言うが、運用改善では事態が戻ってしまうかもしれない。事件が、米側にとって痛みを伴うものでなければならない」

「基地・反基地の問題ではない」

 全国の都道府県知事でつくる全国知事会は、地位協定の抜本的見直しを求める提言書を2018年に日米両政府に提出した。米軍人の事件に対しては「具体的かつ実効的な防止策を提示し、継続的に取組みを進める」ことを求めた。

 だが日米地位協定の条文は1960年の締結後、今に至るまで一度も改定されていない。

 「“パンドラの箱”を開けることになってしまうからだ」。事件後、日本政府当局者が明かしていた。規定が多岐にわたる協定を巡って関係各機関が主張を始めたら、収拾がつかなくなる―。「それなら運用改善で対応する方がよい」。元米国務省のケビン・メア氏も断言する。

 しかし、米兵犯罪の被害者でもあるオーストラリア人女性のキャサリン・ジェーン・フィッシャーさんも、地位協定改定の訴えを曲げない。「在日米軍の兵士による犯罪が、70年以上もなくならない。協定を改定しないのは、こうした犯罪を許容するのと変わらない」


暴行を加えた元米兵との民事訴訟で、1ドルの賠償で和解したことを発表するフィッシャーさん=2013年、東京の司法記者クラブ
暴行を加えた元米兵との民事訴訟で、1ドルの賠償で和解したことを発表するフィッシャーさん=2013年、東京の司法記者クラブ

 2002年、横須賀で米兵から暴行された。警察に被害を訴えたが、加害者は起訴されず、民事訴訟の審理中に帰国して除隊した。その後に自力で加害者の所在を突き止め、米国で提訴。加害を認めることと引き換えに、2013年に加害者と和解した。「お金より正義が欲しかった」。賠償額は1ドルだった。

 フィッシャーさんは訴える。「日本政府が本来やるべきことを、私は自力でやらなければならなかった。米兵の事件は、基地に賛成か反対かという政治的な議論ではない。犯罪を許すか、許さないかという問題だ。日本政府は立ち上がるべきだ」

 ◆横須賀・米兵による強盗殺人事件 ​2006年1月3日、神奈川県横須賀市で、会社員の女性を殺害し、現金を奪ったとして、当時横須賀に配備されていた空母「キティホーク」の乗員だった米兵が強盗殺人容疑で神奈川県警に逮捕された。2008年3月にも、横須賀市内でタクシー運転手が刺殺される事件が発生し、4月に駆逐艦乗員だった米兵が強盗殺人容疑で逮捕された。いずれの事件でも、米軍側は日米地位協定の運用改善に伴う容疑者の起訴前身柄引き渡しに応じている。

連載「平成の事件」
 この記事は神奈川新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事です。「平成」という時代が終わる節目に、事件を通して社会がどのように変わったかを探ります。4月8日から計10本を公開します。

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