横須賀と米原子力艦の安全性を巡る議論の端緒は、半世紀前にさかのぼる。日本への原子力艦寄港に関する照会に答える形で1964年8月、米政府が日本政府に書簡「エードメモワール」を通知していた。
骨子は、①日本政府の意図に反する行動をしない、②安全確保へ広範囲な措置を取る、③燃料交換や動力修理を日本で行わない、④寄港目的は休養・補給―などだった。米国側は「原子力艦の入港は日米安保条約に基づく事前協議の対象にはならない」と強調しながらも、「日本国民の懸念を承知している」として、こうした文書をまとめたとしている。
米最古参の原子力空母「エンタープライズ」の日本初寄港が取りざたされていた1966年5月、衆院内閣委員会でも、原子力空母の受け入れの是非をめぐる議論が白熱していた。
国会でも鋭い追及で審議をしばしば紛糾させ「国会の止め男」とも評された社会党議員の論客、大出俊が、エードメモワールを引き合いに、政府をただす。「日本国民は原子力に非常に敏感だと、米の配慮が書いてある。今(エンタープライズが)入るのは困る、と米に言えないのか」
防衛庁長官の松野頼三が答弁した。「国民感情から、原子…