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ヨコスカと空母・第1部
配備前史(3)極秘の会談「乗員家族を横須賀に」

社会 | 神奈川新聞 | 2019年3月24日(日) 17:10

 米空母は通常、駆逐艦などの随伴艦とともに機動部隊を構成している。米海軍の戦術部隊として、この構図は今も変わらない。

 1971年5月に米海軍省は、空母と駆逐艦を横須賀に配備する計画を提出した。

 だが、国防総省は駆逐艦の配備は承認したものの、空母の母港化の決定は先送りしている。「駆逐艦部隊(配備)の経験が評価できるようになるまでだ」。国防長官のメルヴィン・レアードが、公電で理由を説明している。


空母の母港化を巡る米国務省から大使館への極秘公電
空母の母港化を巡る米国務省から大使館への極秘公電

 東京の在日米大使館には国防総省から、駆逐艦の横須賀配備を巡って、日本と交渉に入るように依頼が届いた。大使館は「空母の母港化の可能性も同時に日本側に伝えておくことが必要だ」と提案した。

 レアードは71年7月に来日。防衛庁長官の中曽根康弘に、空母の横須賀配備を自ら打診した。この事実は、半年後の12月になって外相の福田赳夫が参院特別委員会で「長官が『空母の家族を横須賀に置きたい』との希望をそれとなく話した」と答弁するまで、日本国内では公にされていない。

 その横須賀では、基地の艦船修理部(SRF)の返還期限が延期されたままだった。

 横須賀市はSRFが「再延長されることなく返還」するよう国に要望したが、このまま返還実現も遠のくのではとの懸念も地元に強まってきた。

 71年9月、横須賀市議会定例会。「米軍のためのSRFになる」と問われた市長の長野正義は、あくまで「SRFは平和産業転用を政府に認めてもらう。米の永久基地化は排さなければならない」と答弁した。

 10月には防衛庁の横浜防衛施設局から、横須賀市が求めてきた基地の縮小返還に対する回答が届く。SRFの「将来の利用は市の平和産業への転用の以降を十分尊重して今後協議する」。事実上の縮小計画の棚上げだった。

 その間にも、米艦船の海外母港計画は着実に進んでいた。

 1971年11月、米海軍の駆逐艦部隊が新たな母港の横須賀に到着した。米軍にとっては艦船海外母港の「第1段階」。空母母港化の“露払い”ともいえた。

 折しも、国会では同月24日に「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」が採択される。国の基本方針と定め「国民の総意として内外に鮮明にする」(趣旨説明)。非核三原則が日本の国是となったのは、この時だ。

 このころになると、横須賀への空母配備構想もまた、国会で公然と議論がされるようになっていた。

 12月の参院特別委員会。外相の福田赳夫が答弁で、海外母港構想の背景を推測してみせた。「アメリカは財政が非常に窮屈。第7艦隊の乗組員を家族のところへしばしば帰すと大変な金がかかる。日本へ家族を置けば安く済む、ということだろう」

 横須賀でも、市議会定例会の最中だった。本会議で市長の長野正義は言い切った。「空母の基地になれば、横須賀が軍事行動の基地となる。絶対に反対しなければならない」

 そのころの米ワシントンでは、駐米大使の牛場信彦が、米国務次官のアレクシス・ジョンソンと会っていた。過去には駐日大使も務めたアジア通の大物外交官でもあるジョンソンが会談後、東京の在日米大使館に送った公電に、この会話が詳述されている。表題は「EYES ONLY(アイズ・オンリー)」。極秘扱いだ。

 牛場が「横須賀の空母母港化が『核問題』で難しくなっている」と明かす。

 ジョンソンは答えた。「今も空母は横須賀を定期的に訪問している。母港化がもたらす変化は、家族が基地で生活し、空母の寄港が少し延長されるということだけだ」

 数日後、日本の参院特別委員会。「空母部隊が新たに在日米軍となれば、安保条約に基づく事前協議にかける必要があるのではないか」。質問を受けた外相・福田は、あらためて答弁した。

 「(乗員家族の居住を)友邦アメリカが財政事情からそうしたいと言ってきた場合、断れるか。少なくとも事前協議の対象としての問題ではない」

(敬称略)

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