戦前に軍港として栄えていた横須賀市では、終戦後に旧軍関係者の離散が止まらず、人口が35万人から20万人に激減した。旧軍の資産は一部が米軍に占領されたが、残りの広大な敷地は放棄されたままになっていた。

旧軍の資産を復興に活用し、軍港から平和産業港湾への転換を目指す-。横須賀市は旧軍港としての歴史を共有する呉、佐世保、舞鶴の3市とともに、こうした構想を描き、国に法整備を求める。議員立法され、国会で成立したのが「旧軍港市転換法」(軍転法)。無料や安価での資産譲渡や転用の優先権を定めた法だった。
施行の条件として「住民の過半数の同意」が課された。横須賀では市民の87%が賛成し、軍転法は1950年に施行されて、現在に至っている。現在も横須賀に数多く残る国有地の多くは、旧軍からの土地であり、今なお軍転法に基づく活用が審議されている。
基地返還「発展の起爆剤に」
法施行から20年後の1970年5月。横須賀市は、米軍基地の返還や集約を求める要望書を国に提出した。「国防についてはよく認…