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記者の視点=運動部・矢部真太(平成4年生まれ)
【平成に生まれて】(6)シールズのその後(下)

社会 | 神奈川新聞 | 2019年3月20日(水) 11:02

◆震災経て社会動かす


冷たい雨が降りしきる中、拡声器を担いで声を挙げた千葉さん=2015年9月、国会前
冷たい雨が降りしきる中、拡声器を担いで声を挙げた千葉さん=2015年9月、国会前

 まだ終わっていない、風化させたくない。東日本大震災から8年がたった今だからこそ、思いを強くする。

 「メディアでは明るい話が求められる。もう津波の映像は見たくないという声もある。でも、あの日、どう行動し、何を思ったのかという原点に立ち返って伝えるフェーズになっているんじゃないかな」。学生団体「SEALDs」(シールズ)の創設メンバーだった千葉泰真さん(27)が力を込める。現在は都内の番組制作会社でドキュメンタリー制作に携わる。

 昨年12月、福島県沖で底引き漁に汗を流す漁師を取材した。2011年3月に起きた東京電力福島第1原子力発電所の事故後、放射能の影響で操業困難となった。震災前には「常磐もの」と称された海の幸は、一時出荷停止になった。

 そんな漁師から投げかけられた一言がある。

 「悔しいんだよ…」

 消費者の不安を拭うために厳しい基準を定め、操業を再開して復興の兆しが見えた。しかし、東電や政府は汚染水を海洋放出する可能性を探る。千葉さんは「原発も汚染水の問題も福島だけの問題にしてはいけない。日本の食卓の話として考えないといけない」と痛感した。約1時間の番組に凝縮し、エンドロールに刻まれた自分の名前を見るとぐっと背筋が伸びた。

◆絶望から希望へ

 「何のために生きているのか、自分は何者なのか分からなくなっていた」

 あの日、千葉さんは生まれ育った宮城県登米市で被災した。明治学院大への進学が決まり、東京に向け、まさに自宅を後にしようとしていたときだった。窓ガラスは割れ、家具が倒れる。電気のない生活が10日間続いた。隣町の南三陸町が津波に飲み込まれたと知ったのは翌日の新聞記事だった。

 転機は大学入学後。ともにシールズ創設に携わることになる奥田愛基さん(26)とキャンパスで出会った。当時、反原発デモが各地で熱が帯びていた。デモ参加を呼び掛けるイベントを奥田さんらと開き、首相官邸前での抗議に向かった。人々の怒りや不安の声を聞くことができたが、違和感が残った。「若者に合った抗議のスタイルではなかった」

 13年、特定秘密保護法に反対する学生有志の会「SASPL(サスプル)」を立ち上げ、海外の若者デモのような格好良さを追求した。

 デザインソフトで作った英語のプラカードや広告を会員制交流サイト(SNS)で拡散させるなどデモ参加の敷居を低くすることに心を砕いた。従来のシュプレヒコールと決別し、11年の米国・ウォール街オキュパイ運動などで叫ばれたコールをまねたのが「This is what democracy looks like!(民主主義ってこれだ)」。メディアに「ラップ調」と報じられたコールだった。次々と新しい若者の運動のスタイルを作り上げた。

 「路上に出てアピールすることは自分が社会、時代の中で呼吸していると実感が湧くんだよね」と語る。

 こんなコールも取り入れた。「言うこと聞かせる番だ 俺たちが」。闘病の末、18年1月にがんで亡くなった日本語ラップの先駆者、ECD(石田義則)さんが原発事故を受けて歌った曲の歌詞だ。「政治に対して言うべきことを言っていかないといけないと実感できた」。震災で絶望感に打ちひしがれたが、少しずつ希望を抱き始めた。

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