
元日の昼下がり、三浦市三崎の下町地区に300人ほどの列が延びる。千年以上の歴史を誇る地域の氏神・海南神社の初詣客だ。住民や観光客らが境内や参道にあふれた。
「30年近く前は夜中から500人は並んでいた」。今春の改元を見据えて昨春、宮司職を父から継いだ米田郷海さん(45)は詰め掛けた初詣客に目を細めつつ、10代半ばに見た平成初めの光景を振り返った。
三崎港近くに鎮座する海南神社は大漁や海の安全をつかさどる神を祭り、漁業や船舶関係者の参拝は多い。毎年1月にチャッキラコ、11月には面神楽といった大漁祈願の伝統芸能が奉納される。神社の人出は漁業と歩む街の盛衰の映し鏡だ。
市の水揚高統計によると、三崎魚市場の取扱量のピークは1968年の約9.5万トン。海南神社は出港前に岸壁で大漁や安全祈願の神事を1日に数十回することもあった。
全国有数のマグロの水揚げ基地・三崎港。当時は主に近海で取れた生のマグロを取り扱い、年間の入港数は約500隻に上った。「岸壁にはマグロ船がたくさん着いていた」。遠洋漁業者「事代漁業」社長の寺本紀久さん(77)が懐かしむ。
「華やかな街だった」
下町地区の商店街には200店以上が軒を連ね、飲食店や釣具店、衣料品店に加え、映画館も並んだ。「船員の金回りが良く、夜遅くまで飲み屋が営業していた。華やかな街だった」
陰りが見え始めたのは70年代初め、超低温冷凍庫の普及による流通の変化がきっかけだった。冷凍マグロへの移行期、冷凍庫の整備が静岡・焼津や清水に後れを取ったことなどで船が三崎から遠のいた。歯止めはかからず、平成が幕を開けた30年ほど前は年間200隻ほどあった水揚げが近年は15隻前後にとどまる。

漁業者の高齢化や減少も深刻だ。市水産課によると、市内の漁業就業者数は、1988年に1687人だったが、2013年には709人と半分以下に激減した。
「70歳でもみな働く。自分はまだまだ若い衆」。漁師歴40年弱、伊豆諸島近海でキンメダイ漁などを手掛ける漁師の石渡建男さん(60)は高齢化を実感する。
「魚が取れず、もうからない。子どもが継がなくなった」。自身も「稼ぎが良かったのは、家業を継いで漁師になった80年代初めだけ。その後のバブル景気は関係なかった」。漁が休みの時は水産加工場でアルバイトをして家族を養った。
「漁業復活でにぎわいを」
遠洋漁業に加え、沿岸・沖合漁業の退勢が響き、三崎魚市場の取扱量は減少の一途をたどる。平成元年の89年の約6.4万トンから昨年は約2万トン(速報値)に落ち込んだ。
歩調を合わせるように商店街も衰退。市商店街連合会の専務理事で和菓子店を経営する秋本清道さん(68)は「30年ほど前には、商店街の店はほとんどが開いていた」とするが、今ではシャッターを下ろしたままの店舗が目立つ。

明るい兆しもある。昨年、日本初となる冷凍マグロ専用の低温卸売市場が三崎港にオープンした。沿岸の鮮魚を取り扱う市場も高度衛生管理化に向けた改修工事が本年度中に始まる予定だ。
8日に行われた三浦商工会議所の賀詞交歓会。会頭を務める寺本さんは「市場改修などを契機に、三崎漁港を中心とする水産関連産業の再生を目指す取り組みを進めたい」と期待を寄せた。
市内の観光客数は2011年の東日本大震災以降、年々増えており、17年には約630万人に上った。秋本さんは往時を思い起こし、そして願う。「漁業で栄えた街。観光客を取り込みつつも、漁業の復活でにぎわいが戻ってほしい」