藤沢(上) 受け継ぐ心「商いの街が好き」
藤沢市の小田急江ノ島線鵠沼海岸駅からほど近い商店街の一角に、映画と本とパンが楽しめる店「シネコヤ」がオープンしたのは2017年4月のことだ。
ショーウインドーには季節の花々が生けられ、奥の本棚には古本や絵本、映画のパンフレットが並んでいる。扉を開けると、自家製酵母のパンとコーヒーの香りがした。
どこか懐かしい空気が漂う店内で、シネコヤ代表の竹中翔子さん(34)は「ぶらりと立ち寄って、気ままに過ごしてほしい」とほほ笑んだ。
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生まれ育った同市にはかつて単館の映画館が多数、存在した。市が5年ごとにまとめている統計によると、平成に入って最も多いときは、市内で5カ所(1991年)あったという。
竹中さんは高校時代、藤沢駅近くの映画館でアルバイトをしていた。
「映画を見たり、本を読んだりすると、作品と共感できることがすごく多かった。本来の自分の感覚に立ち戻れるようだった」
いま思えば思春期だったようにも思う。でも、当時は学校生活に楽しさを感じられず、漠然と社会に不満を感じていた。
「自分の言いたいことがうまく表現できなくなったり、楽しくなくても笑ったり。『生きづらさ』を感じていた」
そんなとき、近所の映画館や古書店へ向かい、好きな作品の世界に浸り、自分の時間を楽しんだ。バイト先の映画館で、カップルや家族連れが作品を楽しむ姿を見るのも好きだった。
しかし、そんな居場所は2000年代に入り、徐々に消えていく。都内の大学を卒業後、地元へ戻ってくると、近所の小さな古書店はなくなり、その代わり、中古書籍販売のチェーン店が建っていた。シネコンの台頭、インターネットを使った動画配信に加え、娯楽の多様化もあり、藤沢駅前に残っていた名画座2館も1年以内に姿を消した。
その衝撃は今も忘れない。
「文化的な場所であり、日常の一部にもなっていた本屋さんや映画館が街から消えた。街の景色が変わってしまった」
世の中は不況が長引き、合理化や効率化が声高に叫ばれるようになっていた。時間の流れが早くなり、社会全体から余裕がなくなっているように感じた。
竹中さんは言う。
「本や映画だけでなく、美術や音楽など文化的なものに触れると生活が豊かになる。日常からちょっと離れて、自分らしさを取り戻せる場所。そんな場所があればいいなと思った」
転機が訪れたのは16年2月。鵠沼海岸駅近くの商店街に空き店舗を見つけた。温めてきた理想の空間づくりの構想が一気に現実味を帯びた。
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シネコヤの建物は、もともと街の写真スタジオだった。オープン前に改装したが、壁や天井、飾り照明は元のまま。その面影はいまも店内に残る。
「写真館で写真を撮るのは特別な日。多くの人の思い出が詰まった場所を残したかった。かつてここで写真を撮った地域の人がシネコヤに来てもらったときにがっかりしないように、『すてきになった』と思ってもらえるように」
店内は、そんな竹中さんらしいこだわりが随所に現れている。1階のカフェスペースでは音楽を聴きながらコーヒーやパンが味わえ、奥の貸本スペースでは古本や絵本、美術本、映画のパンフレットが楽しめる。
2階では、竹中さんが選んだ映画が流れ、ゆったりと並ぶソファやいすでくつろぎながら鑑賞できる。
オープンから間もなく2年。この間、うれしいことがあったという。
近所の女性が、引っ越しを前に立ち寄ってくれたときのことだ。
「『シネコヤのおかげで世界が広がりました。ありがとう』と言ってくれて。その言葉を聞いたとき、この店をつくって本当によかったと思いました」
いつかシネコヤが街の風景の一部になれるよう、ゆっくり時間を刻んでいきたいと思っている。
(2019.1.23掲載、松島 佳子)