「発生が朝の5時46分だったから、犠牲者のほとんどが建物の倒壊、家具の転倒によるものだった」
7日に催された横浜市西区の消防出初め式。記念講演に立った元市消防局予防部長の荒巻照和(65)は、24年前に起きた「大震災」の記憶をたどり、教訓をかみしめた。
横浜と同じ港町の神戸が壊滅した1995年1月17日。直後の惨状を神戸市職員が撮影した映像を流しながら、指摘した。「火災に対する考え方が脆弱(ぜいじゃく)だったようで、非常に怖いシーンが出てくる」
映し出されたのは、炎上する家々をすぐそばで見つめ、逃げようとしない人々の姿。消火作業はままならず、「自然鎮火を待つ以外になかった」。「防火水槽を設置していなかったり、プールからの取水ができなかったりして、消火栓を頼るしかなかった」が、道路は寸断されていた。
6437人の死者・行方不明者を出した阪神大震災が浮き彫りにしたのは、その一つ前の「大震災」で露呈した過密都市の脆(もろ)さだった。建物がつぶれると火災が起き、やがて燃え広がる-。