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ピースボート、被爆者が横浜に帰港 核なき世界を訴え

社会 | 神奈川新聞 | 2018年12月30日(日) 17:00

被爆体験を継承した若い世代の活躍を期待する被爆者の(左から)塚本さんと、空さん =横浜港大さん橋国際客船ターミナル
被爆体験を継承した若い世代の活躍を期待する被爆者の(左から)塚本さんと、空さん =横浜港大さん橋国際客船ターミナル

 広島、長崎への原爆投下から73年。被爆者の高齢化が進み、凄惨(せいさん)な戦禍を生き抜いた人々も次々と鬼籍に入る。核兵器の非人道性を訴えながら世界を航海する非政府組織(NGO)ピースボートのプロジェクト「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加する被爆者も減少、横浜港に17日帰港した客船に乗船していたのは過去最少の女性2人だった。だが、体調不良や夫との死別を乗り越えながら、2人は日本政府に核兵器禁止条約の批准を迫り、若者たちに「核なき世界」の実現を託した。「繰り返してはならない」との切なる願いを込めて-。

 「核兵器を持つことが恥だと考える世界になってほしい」。広島で10歳の時に被爆した塚本美知子さん(84)=東京都杉並区=は10月30日、米ニューヨークの国連本部で初めて英語で演説し、核兵器禁止条約の早期署名と批准を各国に呼び掛けた。

 プロジェクトの参加は2010年に続き2回目。客船「オーシャン・ドリーム」(3万5265トン)で108日間かけて計24の寄港地を巡り、船内外で被爆体験を証言した。横浜港大さん橋国際客船ターミナル(横浜市中区)で開かれた帰国会見では、国連本部での演説が「最も印象に深い」と振り返った。

 広島で被爆した母親らを病院で救護したため自らも被爆。出勤途中で電車に乗っていた父親は6日後に死亡、母親は16年後に亡くなった。

 証言活動では現地の小中高校生や大学生を含む多くの市民が体験談に聞き入った。悲惨な原爆の実相を語った後、塚本さんは詩人・峠三吉の詩「にんげんをかえせ」を朗読し、平和の尊さを訴えた。

 〈にんげんの/にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ〉

 初参加だった空民子さん(76)=広島市=は3歳で被爆した。普段証言する広島への修学旅行生だけでなく、海外の子どもたちにも体験を伝えたいと乗船を決めた。

 ところが、乗船直前に最愛の夫が急逝。逡巡(しゅんじゅん)したが、自身の年齢を考えて「今でないと証言できない」と覚悟を決めた。

 自宅は爆心地からわずか1・4キロ。洗濯をしていた母親と一緒に、庭にあった防空壕(ごう)にとっさに逃げ込み、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中で必死に命をつないだ。

 証言を聞き、通訳をしてくれた日本人女性が感極まって涙する一幕もあった。「私の心をしっかりと受け止めて通訳してくださり、ありがたかった」

 核廃絶への機運が高まる一方、日本政府は核兵器禁止条約に反対の立場を崩そうとしない。塚本さんの国連での演説から2日後の11月1日には、条約の早期批准を促す決議案に日本は反対票を投じた。高見沢将林(のぶしげ)軍縮大使に直接批准を求めていただけに、塚本さんは「日本政府の姿勢は間違っている。私たちは小さな力であっても少しずつ伝えていきたい」と言葉を震わせる。

 プロジェクト初回の2008年には103人の被爆者が乗船したが、年々減少。26日に横浜港を出港する次回の航海では全区間を通した被爆者の乗船はなく、今後も予定はない。

 航海中の船内では、核保有国を含む各国の若者たちを、次世代に被爆体験を継承する「おりづるピースガイド」として養成する取り組みを進めており、2人も体験を繰り返し詳細に語った。「体調の面で(今後の参加は)もう無理だろう」と話す塚本さんは「被爆体験を継いでくれた若い世代に活躍してほしい」と期待を込めた。 

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