記者の視点=川崎総局編集委員・石橋学
刻む2018〈11〉浮き彫りになる退廃 南北首脳会談
社会 | 神奈川新聞 | 2018年12月26日(水) 02:05
思えば、歴史的転換の予兆はガイドの女性の言葉にものぞいていたのかもしれない。ちょうど1年前の冬。韓国を訪れた私は「南北分断の象徴」板門店へ向かった。何より印象を残したのは日本人向けツアーの案内役、チャン・ヨンソクさんの解説だった。日本の植民地支配の歴史から、朝鮮戦争は米ソ冷戦の巻き添えにほかならず、東西ドイツ統一後、唯一残された分断国家であること、韓国では若者が、北朝鮮では女性までも兵役を課せられていること、1千万を超える離散家族がいることが穏やかな口調で語られた。
65年もの間、休戦に過ぎない状態が続く朝鮮戦争、対立の果ての核ミサイル問題と、大国の都合に翻弄(ほんろう)されてきた民族の悲哀がそこににじんでいた。私は尋ねた。
「あなたは先ほど『北朝鮮を少し悪く紹介した』と言ったが、そのようには感じられなかった。日本ではもっと悪い報道ばかりがなされている」
実際、ツアーバスで隣り合った都内の20代の会社員男性は「怖い物見たさ」で参加したといい、「北朝鮮といえば、小学生のころに見たニュース映像。拉致された横田めぐみさんの両親が記者会見をしていた。不気味でうさんくさいというイメージ。そこに金正恩(キム・ジョンウン)は何をするか分からないというのが加わった」と話した。
チャンさんは言った。
「ええ、以前は私もそのように教えられてきました」
そのまなざしがなぜ変わったのかに興味がわいた。
「かつて国民はあまり北朝鮮のことを知りませんでした。政府が隠してきたからです。国が見せることが全てではないと知り、今は国民の間にもっと知りたいという思いが強くなっています」
国家権力はうそをつく。普遍の真理だが、30年前まで続いた軍事政権と闘い、民主化を勝ち取ったその言葉は重みが違う。大統領が隠し続けてきた不正に100万を超える市民が毎週末デモに繰り出し、弾劾で政権交代を果たすという「ろうそく革命」を経て、説得力はなおさらだった。
明けて2018年。平昌五輪への参加を表明した金正恩朝鮮労働党委員長の新年の辞を皮切りに雪解けを告げる福音が次々と届く。核ミサイル開発は米国に安全保障を約束させることが狙いで、いずれ対話路線に転じるのは周到に練られたシナリオであったに違いない。ただ、最初のステップとして南北首脳会談に踏み切ったのは、融和政策を逆行させた李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)という右派政権に終止符を打つ文在寅(ムン・ジェイン)大統領の登場を好機と見定めたのも確かだろう。
実際、6月の歴史的な米朝首脳会談も、文大統領の提案をトランプ大統領が受けたことから実現をみた。そのような政権を誕生せしめた人々の力を目の当たりにし、翻って日本は、私たちは、と思い巡らさずにいられない。
平和への冷や水
その日、「分断の象徴」は「希望の起点」になったはずだった。板門店で南北首脳会談を迎えた4月27日、金委員長と文大統領が手を取り合い、軍事境界線を南へ、北へとひとまたぎに越えていく。
「もう分断線はなくなったも同然だ」
横浜市神奈川区にある神奈川朝鮮中高級学校では体育館の大型スクリーンでライブ映像に見入る中高生約160人が声を弾ませた。安堵(あんど)も混じった高揚は日常的に差別にさらされた息苦しさの裏返しだったが、それもすぐさま戸惑いと落胆に変わった。片隅の液晶テレビではワイドショー番組が映し出され、コメンテーターや政治家が冷や水を浴びせていた。
「非核化の道筋が具体的に示されていない」「政治ショーに過ぎない」
歴史的な一歩を前にしても向けられるまなざしは変わらないのか。高校3年生の孫順愛(ソン・スネ)さんは表情を曇らせた。
「日本は南北が統一してほしくないのでは。とくに政治家の人たちは。メディアも権力に流されているようにしか見えない」
同じ東アジアの一員として冷戦を終わらせ、平和構築のプロセスに加わるどころか、朝鮮と名の付くものに対してなお発せられる猜疑(さいぎ)と敵視、見下しのメッセージ。残酷な仕打ちはまた、政権の中枢に身を置く、県内選出議員によってなされていることに私は責任を感じる。
平昌五輪のさなか、「ほほえみ外交に目を奪われるな」と口火を切ったのは菅義偉官房長官だった。河野太郎外相は朝鮮戦争の終戦宣言を巡って「時期尚早」と言い切った。
日本海沿岸に相次いだ北朝鮮の漂流船に、冷酷にも「制裁が効き始めている結果」と胸を張った河野氏は、国交がない国の方が圧倒的少数で、それが歴史の清算を70年以上も放棄してきた結果であることを恥もせず、「北朝鮮との国交を断絶すべし」と外遊して回った。
南北分断を決定づけた朝鮮戦争は、日本の敗戦で空白となった朝鮮半島に米ソ冷戦の舞台が持ち込まれたもので、遠因は日本の植民地支配にある。戦時状態という不正常な国家関係が独裁、軍事政権に口実を与え、核ミサイル開発をもたらした。東アジアに平和が訪れていれば拉致事件も起きなかったかもしれない。そうした当事者としての思考を欠いているからこそ、圧力一辺倒の制裁という短絡が核ミサイル、拉致問題の解決を遠ざけ続けてきたという現実を直視できずにいる。