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あせぬ記憶、募る悲しみ やまゆり園元職員、そろいの湯飲み形見に

社会 | 神奈川新聞 | 2018年12月25日(火) 01:44


事件で犠牲になった入所者の男性からもらった湯飲みを前に、思い出を語る細野秀夫さん=相模原市
事件で犠牲になった入所者の男性からもらった湯飲みを前に、思い出を語る細野秀夫さん=相模原市

 今ごろ天国で演歌を歌ったり、畑仕事をしたりしているんだろうか-。入所者19人が殺害された知的障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)の元職員の男性は、犠牲になった入所者の男性を折に触れて思い起こす。26日は、事件から29回目の月命日。悲しみや怒りは、今なお消えない。

 「ずっと使っているのに、どういうわけか割れないんだよ」。元職員の細野秀夫さん(73)=相模原市=は年季の入った湯飲みを両手でさすりながら、ほほ笑んだ。

 白地にひび模様。凸凹した表面には「北島三郎」の文字。13年前、事件で犠牲になった入所者の男性=当時(67)=から、2人で出かけた北島さんのコンサート会場でプレゼントされたものだ。

 「形見だから。大切にしないとね」。細野さんは再び湯飲みを見つめた。

 県職員だった細野さんが園に異動し、男性を支援するようになったのは1996年ごろ。四つ下の男性は北島さんの大ファンで、毎晩必ずラジカセで歌を聴きながら眠りについた。

 世話好きで朗らかな性格だった。宿直の夜には「先生、巡回だよ」と呼びに来た。午前0時と3時、早朝の計3回、非常灯だけの薄暗い廊下を一緒に歩いた。ほかの入所者の布団を敷いてくれたり、着替えを手伝ってくれたりした。「まるで『準職員』のようだった」

 コンサートに出かけたのは2005年1月。定年退職を翌年に控え、別の障害者施設への異動が決まった細野さんが男性に声を掛けた。「最後の思い出作りがしたかった」からだ。

 あの日の記憶は、今も色あせない。

 最寄りの相模湖駅に着くと、男性は自分で買った横浜市内の会場までの切符を見せながら得意げな顔をした。その肩越しに、釣り銭を握りしめて走ってくる駅員の姿が見えた。

 行きの電車では座席が空いているにもかかわらず、立ったまま。車窓の風景をじっと眺め、「すごいな、すごいな」と繰り返した。会場の最前列で北島さんの歌を聴き終えると、何度も「よかった、よかった」と満足そうにうなずいた。

 公演後のグッズ売り場。男性はカセットテープのほかに、同じ湯飲みを2つ欲しがった。細野さんが「一つでいいんじゃないか」といくら説得しても、男性は頑として譲らなかった。

 会場を出た時だった。「先生、これ」。突然、買ったばかりの湯飲みが入った袋を細野さんに差し出した。「俺のために買ったの?」と聞くと、男性は「そうだよー」と人なつっこい笑顔を浮かべた。

 一周忌が過ぎたころ、細野さんはお盆の墓参りに出かけた。墓前に花束と線香を手向け、持参した湯飲みを置いた。「安らかに眠ってください」。伝えたい思いは山ほどあるのに、それ以上、言葉にならなかった。

 男性の兄と当時の思い出話をしていた時、男性が園で愛用していたもう一つの湯飲みが行方知れずになっているのを知った。手持ちの湯飲みを遺品として返したいと申し出ると、兄は「形見だと思って使ってほしい」と言ってくれた。

 意思疎通が取れない人間は安楽死させるべきだ-。重度障害者への差別的な発言を繰り返す被告への怒りは消えない。「彼らはハンディがあるだけで、私たちと何も変わらない。命を奪う権利なんて、誰にもない」

 湯飲みを見るたび、男性と過ごした日々が鮮やかによみがえり、悲しみが押し寄せてくる。「決して、事件を風化させてはいけない。でも、俺は忘れたい。思い出したくない。気持ちは、遺族と同じです」

相模原障害者施設殺傷事件 2016年7月26日未明、相模原市緑区の県立障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺されて死亡、職員2人を含む26人が負傷した。元施設職員植松聖被告(28)が17年2月、殺人など六つの罪で起訴された。逮捕後には「障害者はいなくなればいい」などと供述したとされる。現在、裁判に向けて公判前整理手続きが続いている。

 
 

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