差別主義者を取り囲み、ヘイトスピーチをかき消さんと抗議の声を上げる市民の背中を眺める視線があった。距離にして約20メートル、マスクで顔を覆った市職員は柵にもたれるようにしてたたずんでいた。思わず私は詰め寄った。
「こんなところからでは彼らが何を言い、人々が何に怒り、傷つけられているのかが分からない。もっと前へ行き、何が起きているのかをその目で確かめてほしい」
10月7日、川崎駅東口。在日コリアンへの差別と排斥をあおる極右政治団体・日本第一党によるヘイト街宣は6月、8月に続き3度目を数えていた。傍観者然とした人権担当の姿に感情をかき立てられたのは、抗議の人垣の中に全身をこわばらせながらレイシストと対峙(たいじ)している女性がいるのを知っていたからだった。
在日3世の女性(25)は目に涙をためていた。
「さんざん差別をしてきた人たちが政治団体を名乗るまでになり、公衆の面前で活動を続けている。この状況自体が耐えがたい。事態はどんどん悪化している。どこまでいけば歯止めがかかるのか」
目の前では、朝鮮人は死ね、殺せと叫んできたレイシストが代わる代わるスピーチし、外国人の追放を意味する「外追」の文字が記された旗が高々と掲げられていた。侵してはならない人権を踏みにじり、殺害までを呼び掛ける反社会的行為が処罰されることもなく、活動自体が脅威を覚えさせ、人権を侵し続けている。
女性は美容院帰りにヘイト街宣に行き当たり、カウンターの列に加わったのだった。半年前、愛息が生まれたばかり。この光景を子どもに見せるわけにいかない。外追の旗を掲げながら「これはヘイトスピーチではなく政治活動だ」という詭弁(きべん)をどうして聞かせられよう。女性は市民団体「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」が署名集めをしているのに気づき、筆を執った。
「署名することで自分の気持ちを表すことができて救われた」
人種差別を禁止し、処罰する条例の早期制定を市に求める署名だった。市民が盾となり、標的にされている当事者が直接向かい合うのではなく、行政が施策としてヘイトを封じることこそ本来あるべき姿だ。そうであればこそ、何が起きているのか分からなければ策の講じようがない。後日、市職員に確かめると「外追」の巨大な旗を見落としていた。私は失望し、しかし、思い直す。遠巻きに眺めるその姿こそは「私たち」の鏡像でもある。だからこそ条例は必要なのだ、と。私は「何が起きているのかを確かめてほしい」という言葉を向けるべき相手を思う。
被害が出発点
差別主義者は卑劣で悪辣(あくらつ)だ。人種差別団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)を創設した桜井誠氏が「党首」を名乗る第一党はその象徴的存在である。ヘイトスピーチに抗議する市民や在日コリアンを「敵」に仕立て「日本人の言論の自由」が脅かされていると言い立てる。自らの差別的言動を棚に上げ、表現の自由として保障されるはずのない「差別する自由」を守ろうと企てる。
12月2日、第一党最高顧問の瀬戸弘幸氏らが開いた「学習会」と称するヘイト集会もこれまでの繰り返しだった。川崎市で条例が制定されれば「在日が支配する暗黒の都市になる」と呼び掛け、妄想レベルの虚言を信じた約50人が集まった。講演の動画をインターネットで公開し、閲覧者のコメント欄には「あいつらの捏造(ねつぞう)している大虐殺とかを現実のものにしようぜ」とジェノサイド(民族虐殺)を要求する書き込みまでがなされている。憎悪をあおり、ブログやユーチューブの閲覧回数を伸ばし、広告収入を得る。著書のヘイト本を売りさばく。「妨害」に対する訴訟を起こすとカンパを求める。党費を当て込み党員を勧誘する。差別を食い物にする醜悪さがここに明らかだ。
瀬戸氏が公言する条例の制定の阻止自体、条例が守ろうとしているマイノリティーへの攻撃を意味する。公的施設での差別的言動を防ぐガイドラインがある川崎市で集会を繰り返す目的も同様だ。不許可にすれば訴訟を起こすと脅し、市役所に執拗(しつよう)に電話をかけ、職員を疲弊させる。他の自治体に「あの川崎市でも有効な対策が取れないのだから」と二の足を踏ませる。12月の集会に対して市は「警告」を行った上で会館の使用を許可した。「自分たちはヘイトスピーチをしない」という詭弁を真に受けず、初の利用制限を課したのは半歩前進。だが、瀬戸氏は「許可してくれた会館には感謝している」と居直りの態度を示し、やはり対策は無駄だと思わせようとする。だからなおのこと歩みを緩めてはならない。
確かめておきたい原点がある。ヘイトスピーチ解消法成立直後の2016年5月、福田紀彦市長は市内でヘイトデモを繰り返してきた男に公園の使用を認めない初の判断を下した。
「市民の安全と尊厳を守る」
ヘイトスピーチが市民の安全を脅かし、尊厳を奪うものだという害悪が示された。それは外国人の人権施策で先進的な取り組みを積み重ねてきた市政の歴史の先にあった認識のはずだった。
「被害がなかったことにされなかった。ようやく守られる存在として認められた」
在日コリアンの言葉は市の英断がどれだけ救いとなり、ヘイト団体に活動の舞台を与えるという行政の加担がどれだけの苦しみを強いてきたかを示す。差別があれば、被害者がいる。被害があれば、回復が図られなければならない。制定が進む条例もだから、差別という被害を見詰めることこそが出発点になる。