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唯一の復興小学校を老朽化で解体へ、南区の旧市立三吉小学校/横浜

社会 | 神奈川新聞 | 2010年9月4日(土) 10:54

屋上の「飾り手すり」(バラストレード)が目立つ。その下、窓と窓の間にあるシンプルな模様は「柱頭飾り」
屋上の「飾り手すり」(バラストレード)が目立つ。その下、窓と窓の間にあるシンプルな模様は「柱頭飾り」

関東大震災直後、東京と横浜に相次いで建てられた「復興小学校」のうち、横浜市内に唯一残る旧市立三吉小学校(南区)の校舎が、老朽化のため近く解体される。鉄筋コンクリート3階建ての堅固な造りだが、細部にはアールデコ調の装飾も。震災の教訓と流行とを併せ持った、時代を反映した学舎だった。

壁のペンキがぽろぽろとはげ落ち、床に散らばっている。ほこりっぽい…。ある酷暑の午後、あるじを失って久しい校舎に入った。第一印象は「痛々しい」。けれど、頼もしさもある。柱が何しろ太いのだ。廊下の端から見通すと、壁面から太い柱が何本も張り出し、それが天井につながって梁(はり)を構成している。

木の階段を踏みしめて2階へ。段が低くて上りやすい。手すりも木製で、直線的な彫刻が施してある。緑色の塗装は色あせているが上品だ。2階の廊下も板張り。児童や医大生が何度となく行き来した焦げ茶色の床板が、今もかすかに光沢を宿していた。

旧三吉小は、1926(大正15)年4月に完成した横浜の復興小学校第1号。47年まで使われた後、50年に市大医学部に転用された。「浦舟校舎」として2001年まで現役だったので、多くの人には医学部としての方がなじみ深いかもしれない。

日本建築家協会で保存問題委員を務める笠井三義さん(中区)は、単なる急ごしらえの建物ではないと説明する。その一例が外装の「柱頭飾り」。幾本もの細かい筋が入った柱の飾りだ。「同時期の横浜にできた生糸検査場などに通ずる」と、笠井さんはここに横浜らしさを見る。建築史に詳しい横浜国大大学院教授の吉田鋼市さんは「復興小学校のモデルケースとして社会的にも意義がある」と話す。

01年に医学部が転出してからは倉庫として余生を送っていた同校舎。が、その役目も05年に終えた。空き家のままでは物騒だからと、地元町内会は07年、市に早く壊すよう求めた。心霊好きや廃虚マニアが侵入したらしい。くたびれ果てたたたずまい…ちょっとかわいそうな最後だ。

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建物の構造はコンクリートだが、廊下は板張り
建物の構造はコンクリートだが、廊下は板張り

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