横浜大空襲の犠牲者の名前が刻まれた平和祈念碑前には、横浜市中区の市立横浜吉田中学校の生徒会役員6人の姿があった。
「空襲から逃げた野毛山で見た眼下に広がる焼け野原。動くものがなく、音もない世界だった」。空襲を経験した岡野利男さん(88)が、焼夷(しょうい)弾が降り注ぎ、多くの人が亡くなったあの日の経験を語った。
聞き終えた6人は碑の前に書かれた「由来之記」の前に集まり、話し合った。「非武装の一般民衆が多数犠牲となったことを伝えなくては」「英文が併記されている意味は何だろうか」。岡野さんから託された思いを、自分の言葉で全校生徒に伝えるつもりだ。
同校では2年ほど前から積極的に横浜大空襲の学習に取り組み、昨年からは生徒会の活動テーマにも掲げた。若手教師たちが生徒の活動を支えている。
生徒会などの特別活動を指導する日置圭介教諭(33)も2年前、生徒たちと戦争体験談を聞いた。「生々しい話に衝撃を受けた。思い起こすのもつらいはずなのに」と振り返る。
講話をしたのは、元高校教諭。中区周辺は焼け野原になり、道端には真っ黒になった遺体が転がっていた。学校は被害の中心地に位置し、焼け跡の上に横浜の発展があることを実感した。「空襲の史実は知っていたが、このときにはっきりと伝え続けなければいけないと感じた」という。
空襲経験者から託されたバトンを生徒たちにどう渡していくか。「押し付けにならず、被害の側面が強調されないように言葉の選び方には気を使いながらも、子どもたちには正しい判断材料を提供する必要がある」と切実に感じている。
3年前、同校に赴任した豊井彩絵教諭(25)は今年4月から、生徒会担当となった。祈念碑に訪れる生徒会役員のため、資料を作成。これまで空襲体験者が講話した記事なども添付した。「横浜大空襲を伝える人を育てるのは、この学校が積み重ねてきた大切な取り組み。自分も生徒とともに平和のメッセンジャーとして役割を果たしたい」と感じてきた。
同校は外国籍、外国につながる生徒の割合が5割近くを占める。豊井教諭は「国際色豊かだからこそ、平和の尊さを生徒全員で考えるいい機会になる」と力を込める。
今月17日の事前打ち合わせでは生徒会役員が思いを語った。2年の持丸英也さん(14)は「友人が日本人兵士から虐殺された」と話すフィリピン人の祖母のことを話した。「国同士による戦争の場で、互いの国の一般人がつらい経験をしたことに思いを寄せる必要がある」との言葉に全員がうなずいた。
生徒会の6人は、祈念碑内部に入り、岡野さんから説明を受けた。銘板には犠牲になった多くの子どもたちの名前が刻まれていることも知った。
6月9日には、この日聞いた話を基に全校生徒に発表する。生徒会長の大場有紗さん(15)は悲惨な戦争を語り継いでいきたいと感じている。
「(空襲の話に)想像もできない恐怖を感じた。戦争が起こらない世の中になるようにと信じ、準備し、伝えたい」
平和祈念碑 銘板を公開
犠牲者に鎮魂の祈り-。横浜大空襲から72年を迎えた29日、横浜市中区の大通り公園で、平和祈念碑内部に納められている銘板が公開された。約千人の犠牲者名が刻まれた御影石に遺族らが手を合わせ、平和の尊さをかみしめた。
「戦争を絶対に起こさないという気持ちを忘れないでほしい」。横浜戦災遺族会(池谷倫代会長)の岡野利男さん(88)=同区=は訪れた市立南吉田小学校3年生の児童や市立横浜吉田中学校の生徒に銘板に記された父・勇さんの名前を指し示しながら語った。
祈念碑の存在を最近知り、今回初めて内部に入った小島五百子さん(88)=神奈川区=と緑和子さん(88)=同区=は市心部で空襲に遭った。「亡くなったとされる知人の名前は見つけられなかった。若い人にも平和を実感できる日の重みを考えてほしい」と涙ぐみながら話していた。