
林道を風が吹き抜ける。木陰に入ると、額の汗が引いた。
8月20日、沖縄県北部の東村高江。農地の一角にブルーシートで作られたテントの下で、芥川賞作家の目取真俊さん(55)と向き合った。約束は15分間。それを大幅に過ぎ、インタビューが1時間近くになるころ、目取真さんの話はメディアに及んできた。
「全国から多くのメディアが高江に来ます。大手メディア、フリーランス、ドキュメンタリー作家。みんな派手な絵が欲しいんですね。ゲート前のテントが撤去されたり、機動隊に座り込みの住民が排除されたり。住民も必死に抵抗して、涙流して。ドラマ性のあるような劇的な場面が欲しいわけです」
静かな口調ながら射抜くような言葉が続く。メモを取っていた手が止まった。

「基地問題について発言する人もいれば、辺野古や高江に来て、取材して『映画つくりました』『演劇書きました』という人たちもいます。ある程度の能力があれば、書くのは簡単ですよ。何人かのヒーロー、ヒロインをつくって、ドラマ性のある場面を継ぎ合わせてドキュメンタリーを作ることもできる。事実かもしれないけれど、100分の1の事実が全てであるかのようなイメージ。それを拡散するわけです」
インタビューの前日。東村高江では、米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)基地建設に反対する集会が開かれた。集まった市民や住民は約500人。彼らを取り囲むように、新聞社やテレビ局、フリーの記者らはカメラを構えていた。


生活の一部
目取真さんは沖縄県今帰仁村の出身だ。米軍北部訓練場ゲート前での座り込み、名護市の辺野古新基地建設に抗議する活動に当初から携わってきた。
「僕らは1年365日ずっとここにいて、暮らさざるを得ない。沖縄で基地問題をやるというのは、生活の中でやらざるを得ないものなんです」

かつては、朝の6時から夜の9時まで高江のゲート前で立ち続けた。夜の9時から翌朝の6時まではゲート前に車を止めて中で眠る。「工事車両がいつ来るか分からない」からだ。
「3日に1回ぐらいアパートに帰って着替えして、シャワー浴びて洗濯して、また高江に戻る。この繰り返し。活動を支えているのは、一人一人の無名な人たちです。何の記録にも残らないような、ドキュメンタリー映画の主役にならないような、そんな一人一人の献身的な頑張りによって、今の活動があるんです」

今年7月、日本政府は米軍ヘリパッド建設の工事を約2年ぶりに再開した。目取真さんは今、ほぼ毎日、自宅のある名護市と東村を車で往復する。
「ガソリン代だけで1日最低千円。ちょっと行動したら2千円近くになります。毎日2千円飛んでいくと、月5、6万円ですよ。1年続けるだけで何十万円という単位。『反対運動している人にはお金が出ている』なんて言う人がいる。冗談じゃない。こんなこと、誰が好きでやっていると思いますか? 本も読めない、小説も書けない。まともな生活もできない」
目取真さんの口調がさらに強くなった。
「ここまでの運動を東京でやることはないでしょう。目の前に基地がないから、そこまでの必要はない。結局は日本の平和運動も、沖縄に基地を集中させることによって、そういった苦難から逃れてきた」

うそをまぶす
目取真さんを取材しながら、思い出したことがあった。
昨年11月。沖縄のテレビ局に勤める友人の記者に無料通話アプリ「LINE(ライン)」でメッセージを送った。きっかけは覚えていない。「辺野古新基地建設についてどう思うか」という内容だった。
数分後、返信があった。
〈「沖縄の人がみんな反対していると地元メディアは言いますが、実際、賛成している人も多いんですよ。でもそれは報じない。事実、地元の辺野古区の方々は賛成してるんですよ」って政府の人たちがいうわけ。どう思う?〉
逆質問され、返事に詰まっていると、再びメッセージが届いた。

〈とても気持ち悪いのは、言葉の節々に、事実とは違うことをうまーくまぶしてやられちゃうことなんだ。元はといえば、沖縄が普天間の移設を望んだ。沖縄の人たちが一番中国の脅威を感じている。こういうことを平気で言う〉
〈その最たるものが「辺野古区は賛成している」。辺野古区長は、条件付きの容認です。ここは決して取り違えてはいけない。辺野古区長だって基地はいらないと思っている。だけど同時に国の力を知っている〉
〈基地は造られてしまうだろう。どんなに反対しても。であるならば、せめて条件闘争をして、住民にメリットを還元したい。そうすべきが区長の役目と考え、容認を表明したの。そういう複雑な感情や思慮を省いて、反対-賛成論でこの問題をやろうとする〉
〈というか意図的にそうやっているんだろうね。そういう政府にうまーく世間が事実誤認させられていくことを、(自分は地元テレビ局の記者として)ひとつひとつカウンターのように、そうではなくて本当はこうだと出しているつもりだけど、そんな報道は圧倒的政府の発信力と、追随する全国紙によってか、弱きものになっているよねーって感じ〉


複雑な感情や思慮
私も「派手な絵」を欲していた。機動隊による市民への暴力、必死に抵抗する住民。そんな構図を思い浮かべてもいた。
高江に来てみると、想像と違った。この地で生きる人々の日常に触れると、自分の思い違いはさらに鮮明になった。いかに表層的な事柄にばかり目が向いていたか。高江に関わる人々の「複雑な感情や思慮」に思いが至っていなかったか。
取材初日、米軍ヘリパッド建設反対の集会で出会った大宜味村の男性(50)は「見て見ぬふりをしていませんか」と言った。ハンセン病患者だった両親を持つ男性だ。その言葉は、私にも向いていたのだと思う。
同じ大宜味村で「クファチブル農場」を営む儀保(ぎぼ)昇さん(61)は、こんなことを語っていた。「かつて、沖縄ではハンセン病患者を追い出そうとする運動が起こりました。無知ゆえの行動だった。日本政府は治る病気だと分かっていたが、国民に周知しなかった。でも、いまの高江は違います。