
初めてビールを手向けた。2011年8月25日、鎌倉市の円覚寺。坂本堤弁護士の母さちよさん(79)は、流れた時を感じた。「これまでケーキなどを持ってきていたんです。娘に『成人しているんだから、お酒ぐらい飲むわよ』って言われて。龍彦も、生きていれば、立派な大人なんですよね」。記憶の中にいる小さな孫の、23回目の誕生日だった。
初めての男の子の孫だった。さちよさんは、息子の妻の都子さんに「子どもを育てて社会におくるのが母親の仕事。自分の手で育てなさい」と話していた。「しゅうとめとして生意気なことを言いましたが『毎日、子どもと一緒に生活できてよかった』と、今は勝手ながら思っています。こんなに短い人生だったのですから」
1歳と2カ月。「都子さんは『せめて龍彦だけは殺さないで』という言葉を残していたと聞きました。それを、いとも簡単に…。まだ『ママ』も言えなかった小さな子を」
1995年9月、息子一家は新潟、富山、長野の3県で、それぞれが遠くかけ離れた場所で発見された。さちよさんは、家族一緒に入ることのできる骨つぼを探し、両親が龍彦ちゃんを抱っこするよう納めた。「親としては、せめて、それぐらいのことしかしてやれなかった」。16年間、月命日と3人の誕生日の墓参りは、欠かしたことがない。
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記憶の中の龍彦ちゃんは、1歳の姿でいる。同じ年に生まれたもう一人の孫は、社会人として働いている。流れていく歳月。近年は、事件のことが報じられることがほとんどなくなった。さちよさんは言う。「どこかでだれかに、事件を記憶しておいてほしい」
オウム真理教をめぐる事件は、松本智津夫死刑囚(56)=教祖名麻原彰晃=ら11人の死刑が確定し、一連の刑事裁判は年内にも終結する見通しだ。
さちよさんが、わずかに語気を強めた。「サリン事件の後遺症に苦しんでいる方、介護を続けている家族の方は、たくさんいらっしゃいます。事件はまだ何も終わっていないんです」。オウムによる犯罪の被害者や遺族に国が給付金を支払う「被害者救済法」の申請者は、申請が締め切られた2010年12月の時点で、計6583人に上った。
「同じような事件が起きるようなことがあってはなりませんが、今も凶悪な事件は続いています」。さちよさんはそう続けた。
岡田尚弁護士(66)は言う。「オウムのような事件が再び繰り返される怖さは、いつの時代もある。事件を風化させたくないというさちよさんの言葉は、そんな気持ちの表れでもあると思うのです」
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坂本堤さんが弁護士になった時、母さちよさんに言った言葉がある。「僕は、弱い人のために力になりたいんだ」。息子は笑っていた。「私は、元気で、明るくて、一生懸命仕事をしている堤しか知りません」
16年間、墓参りの時に雨に降られたことは一度もない。「魂か、霊魂のようなものがあるとするならば、3人が守ってくれているのかもしれません」
雲の切れ間からのぞいた光が、一家の慰霊碑を照らしていた。