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坂本弁護士一家殺害 23年目の慰霊
終わらぬ道(中)「心通じない気がして」

社会 | 神奈川新聞 | 2016年9月10日(土) 16:09

「報道と聞くと恐怖心のほうが強くなる」。1995年9月の記者会見、詰め掛けた報道陣の前で、さちよさんは述べた=横浜市中区の横浜弁護市会館
「報道と聞くと恐怖心のほうが強くなる」。1995年9月の記者会見、詰め掛けた報道陣の前で、さちよさんは述べた=横浜市中区の横浜弁護市会館

 「私、記者さんと話をするのがずっと嫌だったんです」

 2011年9月11日。慰霊を終えた坂本さちよさん(79)が漏らした。「どんなに一生懸命話をしても、心が通じない気がして」。16年前、さちよさんが100人を超える報道陣を前にあらわにした思いと重なった。

■ ■ ■

 1995年9月。坂本堤弁護士一家3人の遺体発見後、初めてマスコミの前に姿を現した母さちよさんは、記者会見の冒頭、オウム真理教に対して強制捜査が入った後の心境について問われ、口を開いた。

 「報道の方たちには本当に腹が立ちました。警察の方で真実が語られていないのに。胸の中をえぐられるような気持ちで過ごしました」

 遺体発見までの約4カ月間、捜査当局による正式発表のない中、一家が殺害されているかのような報道が続いた。岡田尚弁護士(66)は「生存を信じているのに、『死んでいる』という報道がされ、道端でお悔やみを言われたこともあった。精神的に一番つらい時期だった」と、当時の家族の気持ちを推し量る。

 長期間、周囲の視線にさらされ続けた生活は、さちよさんを追い詰めた。「人様の前に顔を出すのがつらくて、こわくて…」。どうしても外出しなければいけないときは、サングラスやマスクをつけ、遠出が必要な際は、おにぎりを持ち、新幹線の座席隅に座った。人目を避ける生活は、一家の遺体が発見されてから5年以上続いた。

■ ■ ■

 事件発生から20年以上を経たいま、カメラや記者に追われることはなくなった。だが、取材する側とされる側の気持ちの落差を感じざるを得ない。「事件発生当時、龍彦ちゃんは3歳だったんですよね」。あるとき言われた記者の一言に、力が抜けた。

 「若い人は事件のことを知る由もない。それは仕方ないことだと思っています。だからこそ、せめて取材される側がどんな思いでいるのかを、少しでもいい、感じてほしい。それを表すことができるのが、記者さんの仕事なのではないでしょうか」

 いまでも、一家が発見された地名を聞くと、埋められていた場所が頭の中に浮かんでしまう。「つらくなるので、なるべく考えないように、考えないようにして生きています」。夫亡き後、自宅で1人、暮らしている。

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 全国の弁護士有志で結成された「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会(救う会)」は、後に救出活動をまとめた本に記している。

 「日本のメディアは、取材される側、報道される側がどのような不利益をこうむり、精神的に傷ついているのかを、日常的に検証する姿勢はほとんどないといってもよい。そのことが、同じ問題が繰り返される原因となっているのではないだろうか」

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