坂本弁護士一家殺害 23年目の慰霊
終わらぬ道(上)「二度と来られない」
社会 | 神奈川新聞 | 2016年9月10日(土) 16:07

初秋の山あいにトンボが舞っていた。
長野県大町市の高瀬渓谷緑地公園。2011年9月11日朝。車から降りた坂本さちよさん(79)はゆっくりと歩を進めた。視線の先、陽光に照らされた木々の中に、坂本堤弁護士一家の慰霊碑はあった。
碑の前に立つ決意をするまでに、16年の歳月が流れていた。「これまで本当に多くの方にお世話になり、今もまたたくさんの方が息子一家を思い出し、親しんでくれている。けじめとして、お礼をちゃんとしたいと思っていました。それが、生きている者の義務なのだと思いました」
事件発生から、23年目を迎えようとしていた。
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1989年11月、坂本堤弁護士、妻都子さん、長男龍彦ちゃんが自宅アパートで、オウムの教団幹部6人の実行犯に殺害され、約6年後の95年9月、新潟、富山、長野の山中などで遺体で発見された。
16年前に抱いた感情が、碑を前に再び込み上げる。「なぜ、せめて同じところに埋めてくれなかったのか。怒りと、つらさと…。とても耐えられなかった」。遺体発見から2カ月後の95年11月。さちよさんは、堤さんと同僚だった弁護士2人と共に3人が埋められた現場を、一度訪れている。
新潟の林道は雪深かった。地元の人も立ち入らない山奥に続く道は通行止めになっていた。新潟県警の先導で、四輪駆動車に揺られた。現場の手前で車は止まった。迷わず車を降り、雪をかき分けた。
目に飛びこんできたのは、発見現場を示す、木製の碑だった。息子と、妻と、幼い孫は隔離され、人けのない山奥に6年間も埋められていた。「なんで、なんで、こんなところに…」。言葉にならなかった。ただ、ひたすら「もう二度と、ここには来られない」。そう思った。
さちよさんに同行した岡田尚弁護士(66)は、当時の思いをつづっている。
この日まで
祈り続けた
母に寄せ
ナナカマドの実
あくまで赤く
踏みしめる
北国の雪
その下で
君はいたのか
どんな想いで
白銀に覆われた現場に、真っ赤な実がついていた。「『生きていてくれ』と思い続けた母の気持ちを表しているようだった」
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息子一家の命が奪われてから今日までの日々を、さちよさんは振り返る。「慰霊に行かなかったんじゃない。行けなかったんです。つらくて、悲しくて、やりきれなくて。憤怒と憎しみの中にあり、気持ちのやりようもなく、それでも頭の中でこらえて、こらえて生きてきた」。埋められていた場所に、魂があるとは思っていない。
「でも、私も年を取りました。つらいという自分の気持ちだけでいてはいけないと思ったんです。命あるうちに、礼を尽くさないといけない」
龍彦ちゃんが遺棄された現場から南方約4キロにある高瀬渓谷緑地公園の慰霊碑には、肩を寄せ合う一家のレリーフが刻まれていた。
◇ ◇ ◇
9月中旬、坂本弁護士一家が発見された新潟、富山、長野の3県に、堤さんの母さちよさんが慰霊に訪れた。「二度と来られない」と思った場所。11月の二十三回忌を前に、さちよさんは静かに語り始めた。時を経ても、事件と向き合い続ける被害者遺族の心の内を見詰める。
