1964年9月8日に大和市上草柳で5人が死亡した米軍機墜落事故から52年が経過した9日、事故現場で慰霊祭が開かれた。主催した市民団体が立ち入りが制限されている現場の慰霊公園化を求めた陳情は市議会に受け入れられなかったが、参列者は新たな手段で現場の開放を目指す決意を犠牲者に誓った。
事故後に国有地化された現場に立つ慰霊碑はフェンスに囲まれ、普段は自由な慰霊ができない。市民団体が国に1万6千円の使用料を支払い、慰霊祭当日だけ一般に開放される。事故で兄3人を亡くした舘野義雄さん(64)=東京都西東京市=ら約50人が追悼した。
舘野さんは「フェンスに囲まれず、いつでも自由に献花できる公園を今後も目指す」とあいさつ。市民団体代表の宮応勝幸さん(73)は「仕事に励んでいた青年が命を奪われた。決して忘れることはできない事故だ」と参列者に引き続きの協力を求めた。
市民団体は9187筆の署名を添えて公園化を市議会に陳情したが、6日の常任委員会で保守系委員の提案によって審査の打ち切りが決まった。市民団体は、公園化を市側にじかに要望する手段も視野に調整している。