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鶴見事故から50年、今も残る「記憶の傷痕」

社会 | 神奈川新聞 | 2013年11月9日(土) 11:34

下り横須賀線の側面に突っ込んだ上りの先頭車両(手前)=1963年11月9日、神奈川新聞社撮影
下り横須賀線の側面に突っ込んだ上りの先頭車両(手前)=1963年11月9日、神奈川新聞社撮影

貨物列車と横須賀線が多重衝突し161人が死亡、120人が負傷した国鉄鶴見事故から、きょう9日で50年になる。半世紀を経てもなお、遺族や元国鉄職員、現場付近の住民らには「記憶の傷痕」がある。

■知らない住民も

横須賀線や湘南新宿ラインが高速で駆け抜ける線路際に、事故の被害者の遺族が建立した慰霊塔が、静かにたたずんでいる。

隣に住む元国語教師の女性(84)は「竹の芽がどんどん出てきてしまって、草取りが大変で…」と話しながら参道を掃除する。事故があった土曜の夜は、ちょうど家にいて試験の準備をしていた。衝撃音に驚いて外に出たという。

「今でも、九州など遠くから来る遺族がいる。でも新しい住民が増え、事故を知らない人が多くなった」。真新しいマンションを見ながら女性は話した。

■元鉄道員の悔恨

「なんで、あんな事故をやってしまったんだろう」。横浜市鶴見区に住む元国鉄職員の小林照明さん(86)は、鉄道員の一人として悔恨の念を抱き続ける。

鶴見線国道駅の駅員だったが、事故当夜は売上金を入金するために偶然、鶴見駅にいた。「けがしたお客さんが線路を歩いて来るのを見て、ただ事でないと思った。聞いたら『貨物がひっくり返ってる』と」

現場では既に、近隣の病院から駆けつけた医師や住民、鉄工所の従業員らが救出に当たっていた。小林さんは警察官とともに總持寺に行き、遺体の安置を願い出た。その足で葬儀社へ向かい、棺おけを注文しようとしたが「100人以上いると思う」と言うと「うそを言うな」と、取り合ってもらえなかったという。

「あのときのことを考えると、胸が詰まって仕方がない。けれども、事故を知らない人も多くなった」

■悲しみは今なお

「事故の後、懸命に救出してくださった関係機関や横浜市民に感謝している」。茨城県阿見町の武井浩さん(51)は話す。事故で、当時28歳だった父・義一さんを亡くした。東京・日本橋の勤務先から横浜に帰宅する途中だったという。まだ1歳だったので、父の記憶はない。

事故の後、武井さんは母親の実家のある茨城へ移った。母は病に伏せて入退院を繰り返すようになり、祖母や伯父、叔母に助けられて育った。「子どものころは、事故さえなければ、暗く惨めな暮らしをせずに済んだのではないかと悩んだ。国鉄を憎んだ」

けれども妻子に恵まれ、家族の温かさを味わうことで「初めて生きることの本当の意味」を知った。いつしか国鉄や事故のことを恨むこともなくなったという。武井さんがそんな心境になれるまでに、40年以上もかかった。ただ「悲しみだけは今も消えない」。

■背負った「使命」

毎日、同じ時刻に列車が走り、人々が快適に移動できるのは、決して「当たり前」のことではない。

「今日の鉄道の安全は、たくさんの犠牲の上に成り立っている」と武井さんは話す。「事故が起きてしまった過去は消せないが、事故を防ぐ努力はできる」

遺族、国鉄を継承したJRがともに背負った「使命」がある、と武井さんは考えている。それは伝えていくことだ。「命のある限り、事故を風化させない取り組みをしていきたい」

9日午後3時から、鶴見区の總持寺で慰霊祭が行われる。亡くなった人数と同じ161本のろうそくに火がともされる。

◆原因は「競合脱線」

鶴見事故の翌日の神奈川新聞には「あれほどきびしい批判をあびながらまたもこの大事件」「国鉄は通勤列車、ローカル線などの安全運転に対して、はたして十二ぶんの努力を払っていたかどうか」とある。1年半前の「三河島事故」を念頭に置いたものだった。同事故は1962年5月3日、東京都荒川区の常磐線で発生。信号見落としによる貨物、旅客列車の多重衝突で160人が死亡した。

鶴見事故の原因について国鉄は、貨車の積み荷の偏りや線路、車輪の減り具合など複数の要因が複雑、偶然に重なり合った「競合脱線」と結論づけた。脱線した貨車は、現場付近のカーブで16メートル余りにわたってレールに乗り上がって走行し「せり上がり脱線」を起こしたとされている。

脱線のメカニズムを検証するため、国鉄は北海道の廃線跡を再利用した実験線で、貨車などの走行試験を実施。(1)主要路線の曲線レールに脱線防止ガードを設置(2)車輪の摩擦を軽減する塗油器を設置(3)併発事故防止のための列車無線の開発-などの対策をまとめた。

◆国鉄鶴見事故

1963年11月9日午後9時50分ごろ、国鉄東海道線の鶴見-新子安間で、下り貨物列車(45両編成)の後ろ3両が脱線。隣接の線路をふさぎ、横須賀線上り電車(12両編成)、同線下り電車(同)が相次いで衝突した。上りの1両目が下りの4両目に突っ込んで車体を大破。当時は東海道線と横須賀線は同じ線路を走行し、現在の横須賀線の線路は貨物用だった。

【神奈川新聞】

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