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「水俣」は日常の延長、相模原から食の健康被害を伝える田嶋さん/神奈川

社会 | 神奈川新聞 | 2013年11月4日(月) 23:31

水俣への思いを語る田嶋さん=相模原市南区
水俣への思いを語る田嶋さん=相模原市南区

水銀による健康被害「水俣病」の“語り部”が、相模原市内にいる。患者やその家族ではなく、熊本との地縁もない。だが日常の延長線上に、水俣はある-。同じ社会を生きる「当事者」として、小中学校などでの出前授業を続ける。10月、水銀の利用や取引を規制する「水銀に関する水俣条約」が採択された。公害を「わがこと」として考えてもらうため、神奈川からもっと発信していくつもりだ。

田嶋いづみさん(58)=同市南区。水俣と出合ったのは、長女を出産した翌年の1981年のことだ。

大学時代、友人らと設立したビル清掃会社で合成洗剤を使っていたが、合成洗剤を誤飲する死亡事故があちこちで起きていた。この時に芽生えた化学薬品への不信感は、食の安全への関心を高めた。離乳食用に無農薬の果物を探し、ようやく見つけたのが、水俣産の甘夏だった。

「人に毒を食わされた者は人に毒を食わせられん」。自宅に届いた甘夏の箱には、そう書かれていた。「誰が『毒』を食わせたのか、『毒』を食わされた人は今どうしているか」。思いを寄せるほど、水俣は近づいた。「安全な食材を子どもに食べさせたいという私の日常の先に、食べ物による健康被害に苦しむ水俣があった」

子育てが落ち着いた93年春、甘夏の記憶をたどり、成長した長女と現地を訪ねた。一企業が、誰かの健康や環境よりも経済性を優先した結果、毒物が海に流されたこと、それが生まれてくる赤ちゃんまでも病気にしたこと…。水俣病患者や支援者に話を聞くほど、「過ちの大きさ」に気付かされた。

それで終わらなかった。96年、旅先での出会いが縁で、水俣病公式確認から40年の行事に実行委員として参加。続く98年の行事では子どもたちへの解説を担当した。

「どうして水俣の問題が起こったか。加害の歴史に目を向けることは、これからの生き方を見直すことにもなる」。そんな思いを抱かせた。

2000年、実行委員の有志で、「『水俣』を子どもたちに伝えるネットワーク」を発足させた。定期的に水俣を訪問して現状を学ぶ一方、年に数回、小中学校で水俣の歴史や現状を伝える出前授業を続けている。

「(水俣の問題は)人生を懸けて取り組んできたこと。ちょっとやそっとで分かってもらえることはない」「知らないことは罪ですが、しかし知ったかぶりはもっと罪だ」。田嶋さんらの活動に、違和感を口にする水俣病患者もいた。

「その通り」と感じるからこそ、自らの役割を見定める。「再び水俣の過ちを繰り返さない世の中へと、身近なところから変えていきたい」

10月、水俣条約が採択され、92の国・地域が署名した。期待の一方、「過去」の出来事になりかねない懸念を抱く患者も多いと聞く。「水俣に苦しみをもたらした同じ社会を生きる『当事者』だと、多くの人が意識するきっかけになれば」。それが社会を変える原動力になると、期待を込めている。

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