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~関東大震災90年~ 猛火の中で(1)
未曽有に学ぶ〈8〉被服廠跡◆最悪の悲劇語り継ぐ

社会 | 神奈川新聞 | 2013年10月30日(水) 11:55

長女飯田征子さん(左)に付き添われ、被服廠跡の体験を語る市川さん=9月8日、東京都慰霊堂
長女飯田征子さん(左)に付き添われ、被服廠跡の体験を語る市川さん=9月8日、東京都慰霊堂

 90年前に自らの、家族の運命を大きく狂わせた場所で、マイクに向かった。じっと耳を澄ます聴衆を前に、市川ふみ子(97)=平塚市=は7歳だった当時の記憶をたどり、言葉を絞り出す。

 「家族で被服廠へ逃げたんです。しちりんなんか持ち出しておむすびを作って食べていたら、辺りが急に暗くなってきて」

 死者・不明者が10万5千人を超えた関東大震災で、1カ所としては最悪の3万8千人が死亡した「陸軍被服廠跡」(東京都墨田区=当時は本所区)での被災体験。その跡地に立つ東京都慰霊堂で先月8日、震災90年を記念した防災フォーラムが催され、市川は語り手として参加した。

 震災当時、隅田川の近くに広がる原っぱだった被服廠跡は、家族7人で暮らしていた市川の家から歩いて5分もかからないところにあった。

 1923年9月1日午前11時58分。激しい揺れの後、繰り返す余震に不安になり家族で避難すると、倒壊したわが家から、あるいは火災から逃れようとする人たちが続々と逃げ込んできた。

 本震から約3時間半がすぎた午後3時半ごろ、4万人に達した避難者を猛火が取り囲む。逃げ場を失い、パニックに陥る人々。そこへ、家々の屋根や家財道具を巻き上げながら進む「火災旋風」が迫った。

 「私も竜巻(火災旋風)に巻き上げられたけれど、遠くまでは飛ばされずに助かったんです」

 一緒に巻き込まれた父とともに、壊れた水道管からあふれた広さ4畳半ほどの水たまりに偶然落ち、九死に一生を得た。「ウー」といううなりを上げて迫ってくる旋風の音と、「生ザケの身のような」火炎の色がいまも忘れられない。

 身を寄せた被服廠跡で同じような光景を目にした当時9歳の少年は半世紀後の77年、墨田区がまとめた体験記録集にこんな回想を寄せている。

 〈私の膝あたりの深さの水たまりの底を祖母は懸命に掘り続け胸のあたりまで掘り下げるという超人的な作業をなしとげた〉

 描写したのは、突然現れた火災旋風に驚き、祖母らと水たまりに飛び込んだ場面。大切な孫を失ってなるものかという祖母の決死の勇を目の当たりにした少年は懸命に命をつなぐ。

 〈泥土と化した水に、顔を入れたり出したり、赤く焼けたトタン板が飛んできて何人もの人々が死んでいった。その板を頭に乗せて火の粉を防ぐが、すぐ熱くなり、水に浸しては頭に乗せる。これを何十回と繰り返し続けているうちに、誰かが『火は下火になったぞ』とどなっているのが聞こえた〉

 「死闘」は数時間続き、火勢が収まると「万歳、万歳」と声が上がった。その光景をこう述懐している。

 〈どうして助かったのか説明は出来ません〉

 震災の被害を「未曽有」たらしめ、凄惨を極めた被服廠跡で辛くも生き延びた2千人には、それぞれに奇跡の物語があった。

 顔にやけどを負う程度で済んだ市川は、しかし祖母と3人の妹と弟を失う。生後10カ月だった妹は母におぶわれたまま息絶え、近所の人に「背中の赤ちゃん、死んでますよ」と知らされるまで気付かなかった。煙を吸い込み、窒息したようだったが、「そのときは悲しい気持ちにはならなかった」という。

 「家によっては、一家8人全員が亡くなってしまったところもある。父と母、そして私の3人が生き残ったのは、まだいいほう」

 目の前に広がる光景はまさに地獄だった。「助けて」「水をくれ」。力なく救いを求めながら、息を引き取る人々。飛んできた火の粉が、まげを結った女性の髪の油に付いて燃えだした。

 池の水で渇ききった喉を潤そうと近くの庭園へ行ったときは「ごめんなさい」と繰り返しながら遺体の上を歩いた。幾重にも折り重なった遺体が地面を覆い、足の踏み場もなかった。

 「うそみたいな話だから」と、娘たちにも詳しくは明かしてこなかった自らの体験。90年を経て語り手になることを一時はためらい、慰霊堂を訪ねたときは足がすくんだが、「聞いてもらえてよかった」といまは思う。そして、かみしめる。「本当に生きててよかった」

 慰霊堂での語りを提案した平塚市のNPO法人「暮らしと耐震協議会」理事長、木谷正道(65)は「関東大震災は僕にとって壁の向こうの遠い出来事だったが、昨日のことのように語る市川さんの生々しい言葉で身近なものになった」。今後への思いも新たにする。「慰霊だけでは震災は風化してしまう。ここで何が起きたか語り継ぎ、備えの大切さを発信する場にしていかなければ」 =敬称略


 関東大震災では犠牲者の87%に当たる9万2千人近くが火災による死者だった。東京、横浜の密集市街地が大火に襲われ、人々はなすすべもなかった。その再来を防ぐためには、どうしたらいいのか。


「震災画家」と呼ばれた徳永柳州による火災旋風の絵(東京都慰霊堂所蔵)
「震災画家」と呼ばれた徳永柳州による火災旋風の絵(東京都慰霊堂所蔵)

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