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横浜大空襲から68年「いま語る」(下)悲惨な体験、次世代につなぐ役割

社会 | 神奈川新聞 | 2013年5月30日(木) 00:43

祖父の空襲体験を児童に語る平山さん=西区の東小学校
祖父の空襲体験を児童に語る平山さん=西区の東小学校

「いつか戦争を体験した世代がいなくなり、生の声を聞けなくなる時がくる。そのときに自分の経験は大きな意義を持つはず」

27日朝、横浜市立東小学校(横浜市西区)の体育館で開かれた全校集会。この春の異動で母校である同校に赴任した教員・平山洋輔さん(30)は、そんな思いで約260人の児童に向き合った。

赤茶けた焼夷弾の筒を手に「証言」したのは、幼少期から繰り返し聞かされてきた横浜大空襲の惨状だった。

「ちょうど68年前、この場所で大勢の人が火に囲まれて亡くなりました。みなさん、想像できますか」。膝を抱え、児童たちは静かに聞き入った。集会の最後には、全員で黙とうをささげた。

平山さんが手帳にまとめたメモは、祖父の佐々木重勝さん(81)=横浜市中区=から聞き取った「地元の過去」。複数回にわたり実家を訪れ、当時13歳だった少年の戦争に対する思いも丁寧に書き留めた。

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「この中に詰まってた油脂が飛び散って、辺り一面が火の海になっていった」。まぶたに焼き付いた記憶を孫に語る佐々木さんの手には、焼夷弾の筒が握られていた。東小周辺に落下し、同校で保存されている実物。全校集会直前の25日、平山さんが持参した。

1945年5月29日朝、当時住んでいた横浜市南区高砂町の自宅上空をかすめる無数の米軍B29爆撃機。父の指示で、持てる限りの荷物とともに防空壕に逃げ込んだ。近くに落ちた焼夷弾の熱風が、大きな音を立てて出入り口の扉を跳ね上げる。数人と身を寄せ合っておびえながら、無事を祈った。

空襲警報が解除されて外に出ると、自宅だけが焼け残っていた。風にあおられて迫り来る火の粉を必死で払ったが、目の前で家が燃えていくのを食い止めることはできなかった。

「言葉にできないほどの絶望感だった」

焼死体を目の当たりにすることはなかったが、焼け野原となったまちを眺めながらそんな思いを抱いていた。

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空襲で被災した市民の体験談、戦地に出向いた元日本兵の証言を記録したビデオ上映-。東小の子どもたちに戦争の悲惨さを伝える取り組みは、横浜大空襲の日の前後に毎年続けられてきた。実物の焼夷弾の筒や敷地内に残る防空壕という生きた教材を子どもたちに見せるなど、戦争体験者が減った中でも「双方向性」を模索している。平山さんによる証言の“リレー”も、その中で企画された。

小林淳一校長は言う。「破壊は一瞬だが、平和を築くにはものすごく労力がいる。戦争を知ることで、教科書には書かれていない時代背景や平和の大切さを理解してほしい」。この学校で起きた「現実の戦争の姿」を語る意義は、そこにある。

平山さんは27日の全校集会を、こう締めくくった。「戦争は決して認められないと伝えていくことは、体験談を聞かされた自分たちの役割。今を生きるみなさんも、身近な人に話を聞いてみてください」

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