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帝蚕倉庫が解体危機、再開発方針転換で保存白紙に/横浜

社会 | 神奈川新聞 | 2013年4月25日(木) 00:08

解体の可能性が浮上した帝蚕倉庫=横浜市中区
解体の可能性が浮上した帝蚕倉庫=横浜市中区

生糸貿易の拠点として日本近代化の原動力となった横浜市中区の歴史的建造物「帝蚕倉庫」に、取り壊しの可能性が浮上したことが24日、分かった。同倉庫について市はこれまで、周辺の「北仲通北地区」再開発計画の中で保存を明確に位置付けてきたが、所有者の民間事業者が景気動向を踏まえ方針を転換。保存は白紙に戻され、解体も視野に検討されている。

帝蚕倉庫は、横浜に集まる全ての蚕糸荷物を一括して管理した専用倉庫で、1926(大正15)年に完成。市は「生糸貿易で栄えた横浜の記憶を残す遺構」として保存する考えを示し、所有者の森ビル(東京)も保存を前提に再開発計画を進めてきた。しかしリーマン・ショックの影響で2009年、再開発自体が凍結されていた。

関係者によると、森ビルは近く事業を再開する考えで、総合商社の丸紅(同)と共同事業体を組織し、住宅を主体とした超高層ビルを建設する方向で市と調整中。同倉庫は解体した上で、外壁の部材をビルの低層部に貼り付けて復元する検討が進められているという。市都市整備局は、神奈川新聞社の取材に「事業者と調整中で現段階では話すことはない」としている。

再開発をめぐっては、市が05年に策定した「まちづくりガイドライン」で「横浜を代表する歴史的景観を有する地区」と位置付け、同倉庫などを歴史的建造物として保存活用するよう再開発協議会に提示。それらを条件に、高さ約200メートルの超高層ビル建設を認めた経緯がある。

同倉庫は生糸検査所(現・横浜第二合同庁舎)や、同時期に建てられた同型の倉庫3棟(いずれも08年までに解体)、現存する事務所棟とともに、関東大震災からの再建を目的に建てられた。設計は横浜ゆかりの建築家・遠藤於菟(おと)(1866~1943年)。鉄筋コンクリート建築ながら、柱に赤れんがが貼られ装飾的な趣がある。

建築史に詳しい吉田鋼市・横浜国大名誉教授は「この場所を生糸輸出の最大集積地にしようとしたもので、大げさにいえば日本の運命が懸けられた建物だ」と、貿易港・横浜の復興の中心的存在だったと評価する。

横浜・関内地区ではここ数年で、帝蚕倉庫の事務所棟の一つだった帝蚕ビルディングや、日本大通りの東西上屋倉庫、横浜スタジアム近くのストロングビル、新港ふ頭への入り口にあった本町ビルや万国橋ビルなど、横浜の貿易を支えた大正~昭和前期の建築物が次々に姿を消している。

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